第44回水曜瞑想会

水曜瞑想会では、サーリプッタ長老の口伝集とされる無礙解道論について解説されています。

本日は、佛陀論の続きであり、第4から第6の徳が解説されました。
禁他見のため詳細は省略しますが、修行者は、お釈迦様を思い浮かべて専注し、佛陀と一体となって自他の区別がつかない境地に達し、佛陀の徳との共通性を自分の中に見出し、
引き出しうる最高の質を自分の中から引き出すよう説かれました。

例えば、第5の徳である「他者から教えられることなく智慧を得ること」について、佛陀と同じように四聖諦の看破を独自に成し遂げられなくても、アビダンマの知識について自分なりに仮説を考えて検証していくことが大切であると説かれました。

絡まった糸を解く、プチプチを潰すといった日常的な場面であっても、
夢中になっているときは、楽しくて貪っているためにlobha-mula cittaであるが、「私」を意識していないため、Diṭṭhigata-vippayuttaであるはずだ、などと、仮説を立てることができ、先生に尋ねることで検証することができます。修行が進めば、禅定において検証し、さらに修行が進めばヴィパッサナーにおいて検証することができるようになります。

このように第5の徳から、自分の頭で考えて理解するというinspirationを得ることができます。

さて、瞑想会の終了後、1Fのスペースには、様々な素材、カラー、厚みの新型坐蒲のカバーが完成していました。
坐蒲の購入を検討されている方は、新型坐蒲も視野に入れてみてはいかがでしょうか。

参学者S

第43回水曜瞑想会

本日は水曜瞑想会に参加しました。

まずは禅師とともに30分の瞑想です。
毎週水曜日、同じ清浄な空気の中、同じ参学者の方々と座ることによって、自分の心の状態を如実に知る事ができます。

本日は瞑想後に「観想」についての伝法が行われました。四十種の修行業處はすべて観想でできており、観想の技術を正しく身につけることが、修行成就に欠くことのできない重要な鍵となるとのことでした。
大寺派仏教ではほとんど扱われる事の無いこのテーマについて、経験に裏打ちされた秘伝が惜しげも無く明かされました。

観想には、眼耳鼻舌身意の六門所縁の感受の観想と、身口意の三門における行作の観想の二種があり、それぞれの観想法について、詳細な解説をしていただきました。

詳しくは後に参学者に開示される動画でご覧になられるといいと思います。

貴重なダンマの伝法を受けたものとして、しっかりと実践をし、次の世代に伝えられるよう法友たちと精進していきたいと思います。

参学者C

第42回水曜瞑想会

本日、水曜瞑想会に参加しました。
瞑想後の法話は、無礙解道大品出入息論のBuddhoti(佛陀論)の第一回でした。

相応部経典 大篇 根相応に、信根、精進根、念根、定根、慧根の五根に関する経典群があります。
その2.軟弱品第三略説[二]に、
「比丘たちよ、これら五根を完成し円満すれば、阿羅漢である。 」とあり、
1.清浄品 十分別[二]には、
「比丘たちよ、何が信根か。
比丘たちよ、ここに聖なる弟子は信があり、如来の覚りを信じる。「これによってもあの世尊は阿羅漢、三摩三仏陀、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏陀、世尊である」と。 比丘たちよ、これが信根と言われる。 」とあります。
(mixi原始仏典コミュニティ様訳)

つまり、阿羅漢果を証悟するためには、五根を円満に完成することが必要であり、五根の一つである信根とは、《如来の悟りを信じる saddahati tathāgatassa bodhiṃ》ことと密接な関係があるわけです。
したがって、阿羅漢に通達するためには、《如来の悟りを信じる》ことが必要であるということが導き出されます。

さて、今週から伝法が始まったBuddhoti(佛陀論)は、15項目に亘り仏の福徳を詳細に分析したもので、まさに如来の悟りへの信を喚起・増強する論説といえます。

今週は、15の偈の最初の3つの伝法でした。
「仏陀の本質=誰にも教わらずに無上で最勝の四聖諦を看破する。」を随念することにより、信根を増強・増大させ、円満に完成させるための強依縁になると確信しました。

禅師のお話で印象的だったのが、修行にあたって、自分には意識を向けるが、仏へ意識を向ける人が少ないというお話でした。
自分のことを振り返ると、筋肉トレーニング的な意識でĀnāpānassati(出入息随念行)を捉えていた節があります。
筋トレは、なんの信がなくても、やっていれば結果はでます。
しかし随念は心に関することであり、まさに今、この瞬間の心が大切となるわけです。
無始の輪廻から続く煩悩を調伏するには、今この瞬間に強烈な信が燃え上がっていることが不可欠であるということが、自分にもおぼろげながらわかってきたように思います。

毎日、漫然と文字を書いていても、美しい文字が書けるようにはなりません。
文字を美しく書けるようになる為には、文字を書きながら、それなりの心の使い方が必要となるでしょう。

Ānāpānassati(出入息随念行)にあっては、《信》こそが修行を進化向上させるための心の使い方なのだろうと思いました。
信は、Kusala(善)の母といわれます。信から喚起された善心が、無始の昔から自分を輪廻へと縛っている強力な煩悩を調伏せしめ、修行者を禅定に導くのだろうと思いました。

さて、無礙解道は、サーリプッタ尊者の口伝集とされていますが、お釈迦さまはサーリプッタ尊者について、「比丘たちよ、サーリプッタはあたかも生母のようです。Seyyathāpi, bhikkhave, janetā, evaṃ sāriputto; 」というお言葉を残されています。
(中部経典141「諦分別経」)

「比丘たちよ、あなたがたはサーリプッタとモッガッラーナに親近すべきです。
〔彼らは〕同梵行者たちの資助者となる賢い比丘たちです。
比丘たちよ、サーリプッタはあたかも生母のようです。…… 比丘たちよ、サーリプッタは預流果へ、モッガッラーナは最上義へ教導します。」(光明寺様訳)

お釈迦さまが名指しでサーリプッタ尊者について、「サーリプッタに近親すべきであり、サーリプッタはあたかも母である」とおっしゃられた史実はたいへん重いと思います。
そのサーリプッタ尊者から学ぶということ、それが無礙解道を学ぶ意義であると思います。

参学者 玄沙

第41回水曜瞑想会

本日も水曜瞑想会に参加しました。
ここ数日間、めっきり涼しくなったかと思う間もなく、今日は再び猛暑がぶり返してきました。

水曜瞑想会へはいつも会社から直行するので、道場に到着するのがギリギリの時間にになってしまいます。
心乱れたままで座ることも多く、なかなか瞑想はうまくいきませんが、禅師と一緒に座れる唯一の機会であること、そして水曜のご法話でしか学ぶことのできない無礙解道論の詳細な解説を拝聴できることもあり、水曜瞑想会は私にとって欠くことのできない貴重な機会となっています。

 

さて、7月4日から始まった四善修習についての解説も今回で最後。十の如羲(初心から修行完成までに十種の修行プロセス)の最後の6つの解説がありました。
特に今日は、十種の如羲には、なぜ禅定を完成させた修行者が、Vipassanā修行を始める前に、五神通の修行をするよう説かれているのかについて詳しい解説があり、大変興味深く拝聴しました。

非常にレベルの高い修行階梯についての解説なので、遙かかなたの理想郷を仰ぎ見るような感覚でお話を聞いておりましたが、現在、世俗生活で遭遇する様々な不善から逃れて、常にダンマにのみ心を向けるよう取り組んでいる私に、とても大きな推進力をくださるような、そんな貴重な御法話でした。

帰りはこの水曜瞑想会の後でだけ話をするのが習慣となった法友二人と、わずかな時間の会話を楽しみ、お互いの健闘を祈念しつつ家路に着きました。

これからも「ダンマは一期一会」のお言葉を胸に、聞法の修行を続けていきたいと思います。

参学者N

第40回水曜瞑想会

8月のリトリートも後半に差し掛かった中で、本日も水曜瞑想会が開催されました。
最近は仕事の都合や悪天候により都合をつけることができず、私自身、久々の水曜瞑想会への参加となりました。

まずは禅師とともに30分の瞑想です。 今この瞬間の入出息に意識を向ける難しさを痛感しますが、いつものように禅師と法友達が作り出す静寂が、私の意識を高めてくれるのを感じました。

続いて無礙解道論の四善修習の伝法が行われました。今日の内容は大念処経のアナパナサティのスタンザにも関連していたので、いつもにも増して興味深かったです。
「過去や未来の入出息に心が向いた瞬間、禅所縁は失われ、入出息念は途切れる。故に今まさにこの刹那の入息、あるいは出息に心を向け続けることこそが修得されなければならない」との解説がありました。詳細については後日配信される参学者ビデオをご覧下さい。

ご法話の最後に、本日学んだ内容を修習に活かしつつ、残りのリトリートになお一層精進するよう、禅師から激励がありました。

私も週末からリトリートに参加させていただきます。法友達とアスピレーションを刺激し合いながら高みを目指したいと思います。これからも、瞑想会、リトリートなど、毎回参加できるよう積極的に徳を積んで行きたいと決意を新たにいたしました。

参学者C

 

第39回水曜瞑想会

本日は水曜瞑想会でした。仕事の関係で心が乱れており、30分の瞑想中、Akusala Vitakkaをスルーしきれなかったことが反省点でした。

瞑想後は無礙解道論の解説です。禁他見のため詳細は省きますが、四善修習の第五のポイントは、五根のバランスを過不足なく保ち、活性化によって諸根一味となし、近行定・安止定まで後押しする力を得、それを自在の境地に至るまで反復修習すること(善造作=善なる正しい精進)であると説かれました。

また、修行中のBhāvanāが成功したら、その証悟を省察し(Paccavekkhaṇa-ñāṇa)、その自在を得ることではじめて、次のステップに進んでいけることを知らなければならないと説かれました。
胎蔵法の発心・修行・菩提・涅槃の菩提⇒涅槃や、五分法身の戒・定・慧・解脱・解脱知見の解脱⇒解脱知見も、その理法を示していると解説されました。

最後に、再来週から第2回目の長期リトリートが始まりますが、できる限り参加して、朝から晩まで所縁を楽しみ、無礙解道を実践するよう強調されました。

善友に囲まれながら、ひたすら入出息の感覚に没頭できる長期リトリートは、かけがえのない修行の場です。禅師、善友、自身の健康等、どれが欠けても実現できないこの貴重な機会を大事に過ごしたいと思います。

参学者 S

第38回水曜瞑想会

本日は水曜瞑想会でした。仕事の関係で少し遅刻してしまったため、できる限り音を立てないようにソッと入室して座りました。ソッと動くこと自体が、心を鎮めるのに役立つと感じます。

 

 

瞑想後は無礙解道・入出息論の伝法です。
本日はCatasso Su-Bhāvanā(四善修習)の中のParicitāti(遍熟)についての解説がありました。

禁他見のため詳細は省きますが、このダンマの概略は、「智慧をともない、研ぎ澄まされた鋭い切れ味の念をもって業處を我がものとなさんと希求し、誓願し、自らにその業處を確立する者は、その修行の完成を障礙する一切のものを克服する」のであり、また、
「智慧をともない、研ぎ澄まされた鋭い切れ味の念をもって、その業處に必要なすべての要素を求め、獲得し、備え、確立する者は、その修行の完成を障礙する一切のものを克服する」とのことでした。

たとえばĀnāpānaを修行する場合には、寝ても覚めても入出息に心を向け続け、「わが人生においてassasa, passasaだけが重要であり、あとはどうでもよい」という程の強い想いが確立していなければ、決して成就はしないということが強調されました。

 

 

 

 

解説の後は、高さを自在に調節できる新型座蒲の販売プロジェクトの打ち合わせに参加しました。少し座ってみたところ、長方形の形状と蕎麦殻の反発しない性質により、腰回りのホールド感・安定感が高いと感じました(25日現在、販売時期は未定ですが、乞うご期待!)。

 

 

参学者S

第37回水曜瞑想会

7月1日のウポサタ瞑想会でのQAで、「水曜瞑想会に初めて参加し、禅師とともに瞑想することで、自分のなかの何かが変わった。自分の瞑想に良い影響があった」という趣旨の報告がありました。

伝統工芸の職人や伝統芸能などでは、師匠に弟子入りすると、弟子は師匠の家に住み込みで生活をともにします。考えるに、実際に手取り足取り教えなくとも、師匠の存在そのものが弟子に大きな良い影響を与えるのでしょう。

思い起こすと、私も第一回の水曜瞑想会に参加したとき、禅師も一緒に坐ってくださる! ということが非常に大きな魅力と感じていました。それにしても、その報告をしてくださった方は、初めて参加した水曜瞑想会の、たった1回30分の瞑想で自己の変容と禅師からの影響を理解したということです。正直、その方の鋭い「気づき」に感嘆しました。

さて、本日の水曜瞑想会も、まず禅師とともに坐ります。貴重な30分。

その後の法話は、無礙解道から「四善修習~善き修習とは何か~」の四回目の解説です。四善修習には5つのポイント(五義)があり、今日はポイントの3つめAnuṭṭhitāについて伝法がありました。

難解な無礙解道のスタンザを、禅師が鮮やかに解き明かしていきます。そして、禅師の解説はスタンザの解題にとどまりません。いま解説したポイントを日常の瞑想にどのように取り入れればよいのか、専注を深めるときに陥りやすい誤りと正しい対処法とはなにか、等々を実践可能なレベルまで噛み砕いてお話してくださいました。無礙解道の世界から現代の我々の世界へ、お釈迦様やサーリプッタ長老の息吹が私たちの目の前に蘇ったかのように感じました。

水曜の夜、都合のつく方は、是非この機会を逃すことなく参加されてはいかがでしょうか。

参学者SA