第22回水曜瞑想会

水曜の夜、傅修院へ。
始めに30分のĀnāpāna sati。

私が無精なため、禅師と同じ空間で坐るのは、久しぶりでした。
私は、雑念が出てきましたが、周りから強力な静寂感を感じました。
深い海の底にいるような……。
こういう静謐で静寂感のある場所で修行すれば、
Ānāpāna satiの修行も、進むかもしれないと思いました。

法話は、無礙解道論(Paṭisambhidā magga)大品3 入出息論(Ānāpānassatikathā)の講義。
ひとりで読んでも、意味がわからない部分なので、解説していただくのはありがたいです。

法話に相当するのは後で調べましたら、以下の部分でした。

『南伝大蔵経 40巻 小部経典 18 無礙解道』p.267〜

(中略)

内容は、非常に微細なレベルの
「Sammā saṅkappa(正思惟)= Nekkhamma(出離)、Abyāpāda(無瞋)、Avihiṃsā(無害意)」など。

印象に残ったのは、
Assāsapaṭikaṅkhanā nikanti taṇhācariyā samādhissa paripantho.
入息の希求・欣求・愛行は三摩地の阻害なり。

「Ānāpāna satiを行い、『あ、これいいじゃん!』と思うのも渇愛で、それはSamādhi(定、三摩地)の妨げである」と……。

「いい感じ」 「いい感覚」 というものが生まれるとすぐに飛びついて執着してしまうというのは人間の性なので、それに惑わされない洞察力と、ほんの一刹那であっても、煩悩(kilesā)に対する厳しさはすごいと思いました。

その他、「ここまで精妙なDhammaがあるのか!」と驚嘆しました。
この精妙なPaṭisambhidā maggaの法話、講義を水曜日の説法で連続ですると禅師から伺って、なんて壮大なことが起こっているのかということにも驚きました。

禅師の法話を拝聴して、Paṭisambhidā maggaを残されたのは、相当の境涯と智慧のある方だと感じました。

個人的に、「やっぱり、Paṭisambhidā maggaは、サーリプッタ尊者の口伝なのかもしれない……」と思いました。

また、説法のあとに禅師の話を伺った時の
「初心者のĀnāpāna sati、中級者のĀnāpāna sati、極めた人のĀnāpāna sati」
の話も印象に残りました。

やや脱線しますが、自分の親はもう歳なのですが、
最近、私が親と過ごせる残された時も無限ではないと感じます。

「一期一会」。

禅師とこうして過ごせる残された時も無限ではないと最近思います。

個人的には、禅師の法話で出たほんの一言から、影響を受けたことが、過去、かなりありました。
やはり、法話を聞きにいかないのは、自分が進歩する機会損失だと最近、思いました。

自分のできる範囲で一期一会のチャンスを大切にしていきたいと思います。

参学者 玄沙

第21回水曜瞑想会

 

本日は30分間の瞑想の後、禅師からクッダカ・ニカーヤ(小部経典)の無礙解道論/安般念の章に説かれている「Kakacūpamā(鋸歯の譬え)」について、詳しい解説をしていただきました。
これはサーリプッタ長老がĀnāpāna修行のエッセンスを譬喩の形で開示されたもので、
私たち修行者にとって非常に重要なダンマであることがわかりました。

今回は禅師が「伝法」という形で法話をされたので、ここで内容について詳しく述べることは差し控えますが、因相・入息・出息の三法について、たいへん示唆に富んだご教示をいただきました。

数週間前の水曜瞑想会の法話及び傳修院リトリートでの法話から、
禅師は瞑想を修習する際の実践的な方法の伝授を、システマティックにはじめられています。
法の伝授は一期一会であり、聞き逃したダンマは、今後いつ耳にすることができるか、わかりません。そしてそれが私たちの将来の修行に大きな影響を及ぼしてしまうかもしれないことを思うとき、正に「聞法の機会を一度もミスすることはできない」という緊張感のあるSaṁvegaをひしひしと感じ、「一生懸命修行しよう!」との決意を新たにいたしました。

参学者MM

第21回水曜瞑想会

なぜか出がけに色々と用事が入り(Akusala Vipākaなのでしょうか・・)、いつもながらに結局ギリギリにオフィスを出て、20時直前に傅修院に駆け込みました。

瞑想会の前半、20時から30分の瞑想を禅師と共に。今回は、これまでより落ち着いて瞑想に専注できました。途中の電車の中で、瞑想に向けて意識的に心を整えていたのが、有効だったようです。

その後、禅師より1時間弱の法話と質疑応答です。
本日も、修行法、その中でも前行全般に関わるお話です。これまで数回にわたり前行のハウについてのお話をして頂きましたが、本日は、それら前行全体の重要性の再度の強調、そして前行とは瞑想実施直前のタクティクスに留まる話ではなく、広く日常での生活のあり方に関係するものである、という内容です。
禅師は、かつて交流のあった世界トップレベルのアスリートの実話を挙げられました。彼の試合本番前のトレーニングが、個別動作の単調な繰り返し確認のみという愚直なものであったこと、しかしそれが、短い本番の試合に向けた長い準備期間中に極めて真剣に行われていたことに、大変驚かれたそうです。
我々のアーナパーナサティの修行になぞらえれば、日中の短時間の瞑想や日常の呼吸の意識、随念などが個別パーツの準備的トレーニングになります。これらを、例えば夜のメインシッティングに向けて、意識的に反復していき、そうしてメインの20分なりの瞑想において、それまでの一日を通じたパーツレベルの努力を集約・集結させる、というイメージになります。ここで、日中のパーツレベルのトレーニング全体が前行であり、瞑想直前の準備動作のみを前行と考えてはならない、そうした狭義の前行のみで良い瞑想が出来ると考えてはならない、ということです。
また、そもそも「瞑想によって心を静める」という捉え方も、真摯な修行者の態度として適切ではなく、日中を通じた本来の前行によって、主たる瞑想修行の実行までに既に心は静まっており、その状態で瞑想を実行することで高いレベルの精神状態を得、そしていずれは禅定に至る、と考えるべきであるとのお話もありました。瞑想を「心を静める手段」とステレオタイプに考えていた自身の見解を、改めることとなりました。

最後に質疑応答の時間も設けて頂き、在家修行者の我々にとっての共通課題である、日中の仕事との付き合い方等について、具体的な幾つかのアドバイスも頂きました。

今週末は、通常のウポーサタ傅修会・托鉢会に加えて、リトリートや灌仏会など盛りだくさんですが、粛々と修行生活を継続していきたいと思います。

参学者TA

 

 

第20回托鉢会

春の陽気の中、今日は托鉢会に参加しました。

 

 

 

 

 

 

 

参学者の方々が持ち寄った料理の数々を紹介します

 

 

 

 

 

 

 

本日の汁物は「野菜たっぷりクラムチャウダー」でした。参学者の方が道場で当日調理されたものです。

 

 

 

 

 

 

 

こちらは「アボカドとおからのサラダ」です。道場で和えて仕上げた模様です。春らしいですね!

 

 

 

 

 

 

 

こちらは「桜海老と三つ葉の卵茶巾」料理をあまり知らない私には初耳の料理ですが、見た目・味とも素晴らしかったです!

 

 

 

 

 

 

 

こちらは某コンビニで購入した「明太サラダ」です。安定のクオリティでした。

 

 

 

 

 

 

 

そして、なんと参学者手作りの草餅(ヨモギ餅)です。なんとアンコから!仕込み作られたそうです。

今回もみなさんの多彩なアイデアと腕によりかけた料理の数々で大変素晴らしい托鉢会にとなりました。

参学者の方々の素敵な一品をお待ちしております!

参学者C

 

 

第20回水曜瞑想会

満開の桜を見ていると「春がやってきたんだなあ」としみじみと感じます。水曜瞑想会で坐っている瞑想室も、つい先日までは寒くて仕方なかったのが今日は上着を脱ぐほど温かいです。春ですね。

最初は30分の瞑想です。瞑想を始めると、初心者の私の心はいつもすぐにさまよい始め、そして何か楽しい物語を語りだします。しばらくその物語を見ていて、そのうちハッと気がついて意識は呼吸に戻りますが、しばらくするとまた何かの物語のなかに知らずに入ってしまい、また気づいて鼻先に意識を戻し…と、こうした格闘を繰り返しながら瞑想(?) の時間は終わりました。

「いやー相変わらず妄想の海を漂っているような瞑想(迷走)だったなー」などと考えているところに、今日の法話は五蓋(八蓋)をどう抑制するか、という(私にとって)非常にタイムリーな内容でした。
以下、非常に拙いながらまとめてみます。

アナパナサティを成就するためには五蓋を抑制することが必要です。しかし、坐って瞑想に入ってから、心に生起するKāmacchanda(欲貪)やByāpāda(瞋)を抑えようとして、いわゆるカウンターダンマ(Nekkhammaや Abyāpāda)を喚起させようとしても、すでに心に生起したNīvaraṇa(蓋)を追い出すことはできないでしょう。ではどうしたらよいのか?

最初に各カウンターダンマを心に確立させ、相応するNīvaraṇaが心に侵入してこないようにガードすればよいのです。たとえばKāmacchanda(欲貪)とByāpāda(瞋)に対しては、Nekkhamma(離貪)とAbyāpāda(無瞋=Mettā)でガードする。NekkhammaとAbyāpādaを、瞑想に入る前、坐る前に心に強く確立させることによって、Kāmacchanda(欲貪)やByāpāda(瞋)の生起を抑制するのです。
(ちなみに離貪+無瞋は、ほぼSammā-saṅkappaの心の状態になります。)

以下、八つのNīvaraṇaとそのカウンターダンマの対応は以下の通りです。

①Kāmacchanda(欲貪)

⇔Nekkhamma(離貪)

②Byāpāda(瞋)         ⇔ Abyāpāda(無瞋=Mettā)

③Thīna-middha(昏沈・睡眠)  ⇔ Ālokasaññā(光明想)

④Uddhacca(掉挙)       ⇔ Avikkhepa(無散乱)

⑤Vicikicchā(疑)        ⇔ Dhamma-vavatthāna(法決定)

⑥Avijjā(無明)         ⇔ Ñāṇa(智)

⑦Arati(不欣喜)         ⇔ Pāmojja(勝喜)

⑧Sabbe Akusala Dhamma(一切不善法)

⇔ Sabbe Kusala Dhamma(一切善法)

これらのカウンターダンマをあらかじめ心に確立することによって、Nīvaraṇaを心に入り込ませないようにするわけです。それを成功させるためには各カウンターダンマを日夜随念していくことが必要になります。これは、瞑想の前行の範疇をこえていますが、日々、心がこの状態になるよう努力していきましょう。

短いながら非常に濃縮された密度の濃い法話でした。お話しくださった禅師に感謝いたします。傳修院TVにアップされましたら是非ご覧ください。私も少しでも良い瞑想ができるよう努力したいと思います。

参学者SA

第19回水曜瞑想会

今日は雨で寒さにもかかわらずいつもどおり参学者が集まりました。

昼の原始仏教セミナーでは私たちの制御し難い心をいかにして調教するかといった内容でした。

それらを踏まえたうえで、普段私達はどのような見方で現象を見ていくかといったことが語られました。

私達は日常では現象は常住であるかのように捉えており、そのようなに見てしまう癖がついています。

しかしそうではなく現象を瞬間的に生起消滅するものとして観る。例えそのように観る観知を得ていなくても、普段行う歩行瞑想や呼吸瞑想の際にそのことを随念することによって、いままでより一層瞑想が鮮明になってくることでしょう。

アビダンマの知識がついてくるにつれ、だんだんと話の内容が分かるようになってきます。

瞑想は辛抱のいることですが、これからも精進していきたいと思います。

参学者K

第18回水曜瞑想会

水曜瞑想会では、禅師を前にして静謐な空間で瞑想を行うことができ、仕事の喧騒から離れて心を落ち着かせることができる貴重な機会です。

本日の法話は、調身・調息の続編です。

<①Buddha nimittaとhadayavatthuで繋がる>
Ānāpānasatiを修するとき、お釈迦様が大念処経においてānāpānasatiを解説された”dīghaṁ vā assasanto…”という文を唱えています。これは、お釈迦様への礼儀を示し、意識をdhammaに向けるためです。

その際、お釈迦様が目の前で自分に対し、「dīghaṁ vā assasanto…とやるのだよ」と教えて下さっているところを観想します。また、お釈迦様が自分と一緒に随念し、「入息…出息…(assasa…passasa…āna…āpāna…一つ…二つ…※)とやるのだよ」と教えて下さっているところを観想します。さらに、hadayavatthuから想いを発し、お釈迦様と繋がります。

※準備段階の作為的な数息観ではなく、あるがままに観る数息観です。なお、出息の始めから数え始め、入息の終わりで一つ数え終えるようにします。

これを瑞々しく行うことができれば、この上ない謙虚さ、感謝、誠実さが湧き起こり、samādhiに必要なsaddhāを全面に打ち出すことができるようになります。

練習を積めば、目を閉じた瞬間に、目の前のお釈迦様とhadayavatthuで繋がることができるようになります。嫌なことがあったときの強力な避難所になります。

そうすると、hadayavatthuに意識を置き、buddha nimittaを目の前に置き、phoṭṭhabbaの感覚を忘れることなく、「入息…出息…(assasa…passasa…āna…āpāna…一つ…二つ)」と念じることになり、4つに同時に心を置くことになりますが、構いません。ānāpānasatiの初期段階では、忙しい方が雑念の生起を防げるからです。

<②ledi sayadawのgaṇanā ( ガナナー、数え方)>
次に、あらゆる悪癖を矯正し、障害を克服する訓練法を紹介します。Ānāpānasati以外のbhāvanāにも応用可能です。

まず訓練の対象を定めます。例えば雑念を克服したいのであれば、呼吸しながら「ひとーつ」と数え、雑念が生起したら、もう一度「ひとーつ」と数え、生起しなければ「ふたーつ」と数えます。この要領で1から5まで進んだら、次は一つ数を増やして1から6まで数えるようにします。1から10まで進んだら、1から9に戻り、1から5まで戻り、これを繰り返します。姿勢、力み、thīna-middha、uddhaccaなど、あらゆる悪癖・障害に応用できますので、必要に応じてrepair toolとして使って下さい。一つ一つの部品の品質を向上させることによって、ānāpānasati全体の質が向上します。

専注できないときは、このガガナーばかりやっても構いません。それでも専注できないならcaṅkamaと組み合わましょう。更に忙しくなりますし、刺激もあるため軽いlobha・dosaを抑制する上では有効です。

ただし、激しいlobha・dosaは抑えきれません。”dīghaṁ vā assasanto…”や”iti pi so bhagava…”と唱えながらお釈迦様を随念し、aspirationを燃え上がらせ、lobha・dosaの地平から離れましょう。お釈迦様を前にすれば誰でもhirī-ottappaが生じて、kusalaになり、恥じ入らんばかりの謙虚さが生まれます。

2600年前は簡単に成就した修行が、今日では、なかなか成就しない1番の理由は、お釈迦様がいらっしゃらないことです。当時の弟子が持っていた圧倒的なaspirationを、想像力で、buddha nimittaを置くことで湧き上がらせましょう。

<③臨終をbuddha nimittaで迎える>
最後に、是非実現してほしいことがあります。hadayavatthuに意識を置きながら、buddha nimittaを置き、胸がキューンとなるよう感謝の思いを席巻させ、saddhāを毎日込めて、10年〜30年かけて、buddha nimittaを特別な存在に育てて下さい。不動のsaddhāの引き金になり、亡くなる直前の心路過程にbuddha nimittaが生起して、その人にとって可能な最善の転生を得られます。それさえできれば、禅定を得られなくても今生は成功です。どうか「お釈迦様ありがとうございました」と涙を流しながら臨終を迎えて下さい。

法話は以上です。今まで、お釈迦様をイメージしながらānāpānasatiを修習して良いものか気になっていましたが、疑念が氷解しました。今後は大いにお釈迦様をイメージしながらānāpānasatiに励みたいと思います。

今回は原始仏教(お釈迦様在世当時の仏教)の極意とも言える内容でした。動画がアップロードされたときは是非ともご覧になって下さい。

参学者 S

第17回水曜瞑想会

初めて、水曜瞑想会に参加しました。

朝8時から夜6時半まで、ほぼぶっ続けでミーティングやプラン検討などの頭脳労働に明け暮れ、頭はヒートアップし、疲れて軽い頭痛もする、という感じの夕方ですが、思い切って仕事を切り上げ、大手町駅から千代田線に。いつもは週末のウポーサタ傅修会に日中の移動なので、夜の道を傅修院に向かうのは不思議な感じです。

瞑想会の前半、20時から30分の瞑想を禅師と共に。普段、私は日々の瞑想修行は朝に行っていて、平日の仕事の後の夜の瞑想はほとんどやっておらず、今晩のような傅修院の場においても、心は中々、静まりません。今後、瞑想時間を増やし、朝に加えて夜も日常的に瞑想をする段階になったら、日中の仕事モードから夜の瞑想修行への切り替えをどうするかは、重要な問題だと感じました。

瞑想が終わり、少しの休憩の後、30分程の法話を頂きました。本日も、修行法に関するお話です。仏教の目的である三相(もしくは四相)の看破に関し、いずれヴィパッサナーにおいてパラマッタレベルで看破する修行をするが、その準備として、今からでもそのベース作りなら取り組むことが出来る、それは三相に関する自分の日常の認識の確認と、徹底した随念である、ということです。
三相(無常、苦、無我)のうち、特に無常は、三相の中で最もシンプルで分かりやすく、最初はこれから。普段より、身の回りの現象や物質について、それが無常である(変化する、そのままでは持ちこたえられない、形を変えていってしまう)と認識しているか、あるいは逆にパンニャッティ(名前、概念)を介在させることで、それらを常住のものと誤認してはいないか、をチェックする。また、三相を含む重要なアビダンマの概念は、その理解を確実なものとするため、全て随念して心に沈殿させる必要がある、というお話でした。

無常観については、これまでのアビダンマ学習や法話、また年齢的に人生経験上も幾ばくかの無常を実際に実感してきていることから、少しは分かっているのではという儚い期待もありますが、早速明日から、実際の自分の日常の認識において、常住の概念が入り込んでいないかを意識的にチェックしてみようと思います。また、在家で仕事もしている立場として、常住的な考え、物の言い方を方便的にせざるを得ない状況もあると思うので、そうした場合の当面の対処の仕方・タクティクスも、意識的に考えておこうと思います。

初回参加で、瞑想のレベルはかなりイマイチでしたが、有益な法話を聞かせて頂きました。今後も出来るだけ仕事の予定を調整し、水曜瞑想会に参加したいと思います。

参学者TA