第36回 托鉢会&三連休リトリート開始

本日はリトリートの初日ですが、午前中は通常どおり托鉢会です。

私は昨日から道場に宿泊しているため、屋上の朝採り野菜(ナス、キュウリ、大葉)を使って料理を作ります。

2本植えられた大葉は食害が著しく、無事な葉が少ない状態ですが、1mほど離れた場所に突如自生してきた大葉は無事です。
同じものは近くに植えたいところですが、リスクの分散を考えれば、離して植えた方がよいことが分かりました。

 

今回は、せっかくですのでプロセスも少々書いてみたいと思います。

今日は2品つくります。1品目、「ナスの桜エビの田舎煮」用に、まずダシをとります。
簡単な方法でいつもダシをとっています。写真は鍋に鰹節と昆布を入れて火にかけたところ。沸騰してたら弱火にして5分でOKです。

 

ダシをとっている間に、ナスの下準備をします。
ナスに細く切れ目をいれます。緑色のナスは、レンジでも美味しい「極み」のナス。

以前ブログの記事で、成長が思わしくないと書いたナスがありましたが、そのナスです。
その後すくすく育ち、今は一番、実をつけてくれています。

 

先ほどのダシに調味料とナス、桜えびを入れて強火にかけます。

「沸騰したら弱火にするぞ」と覚えておきつつ、もう1品の「ワカメと大葉とキュウリのサラダ」に取りかかります。先ずはワカメを水で戻します。そしてキュウリを千切りに。

 

自宅の包丁と異なり、よく切れる包丁です。だんだん楽しくなってきていたところ、ふと横を見ると鍋が沸騰して吹きこぼれそうに……Sati(気づき)が足りません。

鍋にはアルミホイルで落とし蓋をします。途中、ちょっと覗いてみた時の様子が写真。15分ほど煮ます。

 

ナスも柔らかく煮えた頃、大葉の細切りも終わり、調味料を用意します。

 

お酢はギリギリ足りました(危なかった……)。

サラダは混ぜて完成です。

 

ナスの田舎煮も、みょうがを乗せて完成です。

洗い物を済ませ、「来たときよりも美しく」で、一帯を拭いて終了。

只今の時間は8時15分。ここから掃除に入ります。

屋上の菊の花がちょうど見頃でしたので、階段の仏様に供えました。このくらい毅然とした感じで座りたいと常々思います。ちなみに、菊へのお礼肥は、夕方、ナスやキュウリなどにも合わせて与える予定です。

 

玄関を掃除し、外回りも掃き清めます。庭を見ると、蓮の蕾が明日には咲きそうです。そして、また新たに蕾が姿を見せました。光の加減からか、光っているように見えます。

『蜘蛛の糸』(芥川龍之介著)で、御釈迦様が蓮池をのぞきますが、私の中での池の蓮は、ちょうどこのようなイメージです。

室内の水槽では、メダカの稚魚が元気よく泳いでいます。10匹ほど誕生しました。

今日は、体温を超える暑さとのこと。
庭の植木と屋上の野菜等に水をやり、玄関先は打ち水をして、禅師をお迎えする準備も万全です。

9時を回り、続々と参学者が来て、托鉢会のテーブルには数多くの料理が並びました。

 

 

 

 

 

終わると12時からはリトリートに突入です。
本日は暑いですが、1日も無駄にすることのないよう、瞑想に取り組んで参りたいと思います。

参学者TS

 

無礙解道伝法 & 傳修院リトリート 7/14-7/16

今週末は3日間のリトリートが予定されています。普段、まとまった瞑想時間をとるのが難しいため、リトリートは瞑想を集中的に修行する絶好の機会です。
リトリートは毎回、八戒の授戒と修行法の伝法からはじまります。

本日はサーリプッタ長老の口伝とされる小部経典・無礙解道・入出息論の第22回の伝法が行われました。
禅定の心は「初三」、「中三」、「後四」の十相を備えるとされますが(三転三善十相具足)、実際の入定プロセスは、①初一、中一、後一(kilesa抑制)、②初二、中二、後二(Upacāra Samādhi)、③初三、中三、後三(Appaṇā Samādhi)、④後四(禅定自在)の順となり、これら①~④はCatu Subhāvanā(四善修習)としてまとめられています。四善修習には5つのポイントがあり(Yānīkata作乗、Vatthukata作実、Anuṭṭhita隨成、Paricita遍熟、Susamāraddha善造作)、本日はそのうちのVatthukata(作実)について伝法されました。

伝法の内容は「禁他見」であり、詳細については省略いたしますが、禅定修行におけるEkaggatāとSatiの関係についての解説、及び実際に専注を深めようとする際に陥りやすい過ちと、正しい専注の深め方について、詳しい指導がありました。

また、Ānāpānasatiの所縁は「入出息」ではなく、「今この瞬間の入息又は出息」であることをくれぐれも忘れないようにとの注意がありました。

原典ではわずか2行ですが、五根のバランスとの関係や、修行上の間違いやすい点を事前に教えていただける等、理論的にも実践的にも実り多いものとなりました。いつか自分で確かめられる日が来ることを誓願しつつ、修行に励みたいと思います。

参学者 S

第35回托鉢会

本日は7月7日、七夕です。
傳修院は平常運転で、托鉢会が催されました。

ぜひ召し上がって頂きたいとの想いが込められた料理が、本日もテーブルに並びました。


家庭であれば、家族の健康等を想って料理を用意する機会もあるでしょうが、そうではない場合、誰かのために料理を用意し、それを食べてもらえるような機会自体がなかなかありません。

私は今回は「クエン酸攻め」としました。蜂蜜梅干しの黒糖レアチーズケーキ、紫蘇ジュースで、夏バテへ先手を打って参ります。

 

蜂蜜と梅干しの黒糖レアチーズケーキ

 

 

お手製納豆

 

 

ごぼう根菜豆サラダ

 

カボチャサラダ

 

 

 

 

茄子とカブの肉そぼろ炒め

 

手作りの納豆は、作り方などについて詳しい話を聴きたかったのですが、タイミングを逃してしまいました。今度、私も挑戦してみたいです。


先週、姿をみせた蓮の蕾が膨らみ始めました。新たにもう一つの蕾が姿をみせ、咲くのが待ち遠しい状況です。

 

あまり人の目に触れることがない屋上でも、菊が花を咲かせ、新たに蕾をつけています。
お盆の時期には、見事な花を咲かせてくれそうです。

 

 

 

 

 


梅雨が明けたため、ナスには藁を敷きました。どことなく、あずましそうです。
※「あずましい」とは、津軽弁で、得もいえぬ心地よさ(お風呂に入った時のような気持ちよい感覚)を意味する言葉です。

また、今回は、キュウリなどの実を鳥が中途半端に残し、周辺に落としているため、ご近所の皆様の迷惑にならないよう、鳥除けの対策を強化しました。

 

 

 

さて、蓮の鉢の中のメダカは、産卵の真っ最中です。メダカの卵に目玉が出ていましたので、別のケースに移しました。
暑さが心配ですが、無事生まれて、元気な姿をみせてくれることを祈るばかりです。

 

 

 

 

今日はまだ作務があります。
道場は、クールに過ごす室内男子が多いのか、外掃除が手薄な傾向がありますが、今日は若手のKさんにご協力いただき、外掃除で出たゴミのリサイクルに取り組みました。

6袋ほどあった枯れ木・枯れ草を、枝は小さく切った上で袋に入れ、水を入れて、隙間が出来ないよう足で踏み潰します。

病気の葉・枝は入れないこと、枝は5センチぐらいにすることに気をつければ、順調にいけば3カ月~半年後には立派な腐葉土になり、屋上で使えることが期待できます。

そういえば、寺院での合コンが流行っているそうです。
外で汗水流しながら、虫をものともせず、蚊が刺そうが「好きなだけくれてやる」的なスタンスで掃除や植木の手入れをする姿(男)は格好良いと勝手に思っていますが、もしかしたら汗臭い・汚いと見えるのかーー寺院での合コンではどんな人がモテるのか、気になるところです。

無事、袋詰めも終わり、これで安心して外掃除ができる(ゴミが出せる)ようになりました。
そこで早速、自由気ままに伸びた草をとり、ここ数日の強風で溜まった枯れ葉をかき集めるなどの掃除を行いました。終えて入り口もスッキリです。

 

 

 

 

暑さもこれから本番になります。
皆様、体調を崩されませんよう、ご自愛願います。

参学者 TS

7/1ウポサタ傳修会

ウポサタ傅修会はここしばらく欠席が続いていたのですが、やっと仕事が落ち着き、久しぶりの参加です。一ヶ月ぶりなので、途中の道程も懐かしい位です。

本日は11時頃、自主瞑想から合流しました。久しぶりの道場も、懐かしいです。

12時から30分程の受戒とチャンティング。そして13時から「修行者のためのアビダンマ講義#231 パッターナ中伝33 #17 静慮(じょうりょ)縁」の開始。

内容に入る前に、恒例のスタンザ暗唱です。何人かの法友が指名され、完璧に唱えて行かれます。実は私も指名されましたが、ブランクが祟り、答えられませんでした。次回以降、雪辱を図ります。

 

静慮縁は、パーリではJhānapaccayo。当然、禅定に関係する縁起かと想像していたのですが、このJhānaの意味は通常とは異なり、二十四縁起など、一部のダンマでのみ使われる広義の意味合いであるとのことです。色禅、無色禅だけでなく、欲界の善心/不善心を含めて、心が所縁へ留まっている状態全般を指すものである、ということですが、ブログでの記述はこの辺りまでと致します。

 

その後、質疑応答の時間に。地方から先日のリトリートに参加された方の、遠隔地で修行する場合の修行報告や禅師との指導面でのやりとりの仕方に関する質問。そして、不浄観修行の概要と、その中での三十二身分随念の位置付けや随念の方法、等。「我々は、今この瞬間の状態が次の瞬間も継続するという、根拠のない確信を持ってしまっており、これがBhavataṅhāを生む」という禅師のコメントが、とてもダンマ的で印象深かったです。

しばらくの傅修会欠席の間、日々の修行メニューは一人で続けてはいたものの、心の状態は大分ダンマから離れていたことが、本日久しぶりに傅修院で時間を過ごす中で分かりました。週末などに定期的に傅修院に出向き、禅師のお顔を見てそのお話を聞き、また、法友達の顔を見て言葉を交わす、という行為が、ダンマ的要素を心に維持する・心をダンマ的にリセットする上で重要であることを、改めて認識しました。

参学者KT

第34回托鉢会

本日は托鉢会に参加しました。

私は出来合いのものを持参していますが、料理の得意な参学者は毎回クリエイティブなメニューを持参されています。味も美味しくここでしかたべれないようなものです!最近は道場で収穫された野菜も並んでいます。

 

 

桃とエビの白和え

 

 

 

 

そうめん風ナス

 

 

 

 

 

春菊とエノキのオイスター和え

 

道場のキュウリとトマト

 

 

 

 

 

ポテトサラダ

 

紀州の梅

 

 

 

 

 

托鉢会の後は禅師と自由にお話しできるのが特徴です。瞑想、戒律、御自身の修行体験など話題は多岐に及びます。

今日も長い時間、傳修院の新しいプロジェクトについての話題で盛り上がりました。
皆さんも美味しい食事と禅師との会話を楽しみに托鉢会に参加いただくといいと思います。

参学者C

 

第33回托鉢会&週末リトリート伝法

 

本日の托鉢会は、リトリートの前ということもあって、いつもより多くの参学者が参加され、たくさんの料理が並びました。

 

 

チキン、豚肉とナスのピリ辛煮

 

 

 

 

 

キンピラごぼう、ごぼうサラダ、もやしのナムル

 

 

 

 

 

ほうれん草の煮浸し、トマト、サワラ炒め、唐揚げ

 

 

キウイ、紀州の梅、道場のミニトマトを添えたサラダ、ひじき煮

 

 

 

 

 

 

屋上の菜園の野菜も順調に育っています。今日はプチ・トマトを収穫して料理に加えました。

またいつものように禅師が発酵玄米を自宅で炊いて、三升(!)も持ってきてくださいました。

 

リトリート&伝法会

毎回、傳修院のリトリートは、八戒の授戒とKammaṭṭhānaの伝法からはじまります。
このところ、無礙解道入出息論の貴重な伝法がシリーズで続いていますが、今日の伝法は特に重要なものでした。

アナパナサティの禅相について、無礙解道、解脱道論、清浄道論の三論を比較しながら解説が為され、今までアナパナサティのニミッタ(禅相)の取り方がいかに誤りにみちたものであったか、お釈迦さまが実際にやられていたアナパナサティが実はどういうものだったのかについて、非常に明快に開示してくださいました。

本日の伝法は「禁他見」のため、内容をここに書くことはできませんが、伝法を受けた参学者一同、アナパナサティに関する疑問や迷いが完全に払拭され、今後のアナパナサティ修行に、大きな希望の光が与えられた思いでいっぱいです。
伝法は予定の時間を大きく超過して一時間半にわたって行われ、その後そのまま、二日間の傳修院リトリートに突入いたしました。

 

 

参学者K

 

第32回水曜瞑想会

水曜瞑想会は、夜の時間帯であるのにかかわらず、10名もの方が参加されていて驚いた。法話では、阿羅漢ウパティッサ長老の著した『解脱道論』、また前回参加されなかった方に『無礙解道』の「鋸歯の譬え/満月の譬え」の原文のテキストが配布された。水曜の夜の短時間の会だからといって、決しておまけ的な内容ではなく、本格かつ厳格なるĀnāpāna Satiの伝法であった。

法話の内容は「Ānāpāna Satiにおける禅相(Nimitta)とは何か?」この内容について数回にわたって講義し、究明するとのこと。個人的には「ニミッタ=Ānāpāna Satiが深まっていけば出てくる光」くらいの認識だった。
しかし『解脱道論』にĀnāpāna SatiのNimittaの定義が書いてあり、それは上記の認識とは違っていた。個人的には、Ānāpāna SatiのNimittaは口伝で伝えられていくもので、こうした論書に定義は述べられていないと思い込んでいたので、修道論である『解脱道論』に定義が書いてあるということを知って嬉しかった。

しかしこのNimittaの定義が一体、何を意味するのか。定義を知り、スタートラインに立ったということで、今後もより深く禅師の法話を拝聴し、Nimittaに関しての認識を深めていきたいと思った。

禅師の言葉で、
「Saddhā(信)は、善行を積み重ねることで徐々に育っていく」
「表面的、世俗的には不幸に思えるようなことでも、波羅蜜の力によって、結果的に涅槃証悟へプラスになることがある」というものが印象に残っている。個人的には「小さいことでも徐々に積み重ねて、心を育てていくしかないのかな」とも思う。
また、自分が意図していなくとも、修行道のほうへひっぱられる力みたいなものを感じるときがある。

Nekkhammaの手放しで淡々と善行をなし、波羅蜜を積み、また波羅蜜にひっぱられて、善行を積んでいく……というようなこともあるのであろうか。

非力な私だが、今後も精進を重ねていきたい。

 

 

 

参学者 玄沙

5/27ウポサタ傳修会&週末リトリート

前日の托鉢会、リトリートから参加しました。

日曜日、午前3時半起床、そして、午前4時からチャンティングと瞑想で一日が始まります。道場にいると、なぜか、早い起床時間でも気にならないのが、不思議です。

 

その後、朝食、作務、瞑想二坐の後、日曜日の傳修会が始まりました。

今週の修行者のためのアビダンマ講義は、二十四縁起の前半まとめの最終回で、10~12番目の縁起の Purejātapaccayo, Pacchājātapaccayo, āsevanaaccayoを復習しました。

個人的には、Ārammaṇa、Sahajāta、Aññamañña、Nissaya、Purejātaは、複数の縁起が同時に成り立つケースが多々あるので、しっかり随念していきたいと思いました。

少しずつですが、Paramatta dhammaを二十四縁起で考察していく視点が構築されている気がするので、大変嬉しくなります。

QAのセッションでは、「八正道の正精進は、なぜ増上戒学ではなく、増上心学に含まれているのか?」「修行者はアナパナを業処としているのに、アナパナサティスッタ自体の解説があまりなされないのはなぜか?」「評論家の仏教に対する考察について」などの質問に回答がなされました。

個人的には、禅師のおっしゃるとおり、お釈迦様のdhammaは、修行者にとっては、「修行して涅槃に至るための修行法の開示」であり、哲学として仏教を議論しても修行者の自分には意味が無いし、もし、dhammaの解説であるならば、実際の修行法に落とし込めていない表面的な解説では、これも修行者の自分には意味をなさない、と思いました。

二十四縁起中伝にしても、前日の無碍解道の講義にしても、パーリ経典、日本語訳、英訳を見比べても、自分の能力ではきっと一生かかっても到達することができないような、深遠な修行法としてのdhamma解説が、禅師によってなされており、自分の仏道修行にとって、ものすごい近道をさせてもらっているな、と日々感謝の想いが尽きません。

傳修会の後は、1Fの休憩スペースでコーヒーを飲んでリフレッシュした後、午後4時より、リトリートが再開されました。

この日は、禅師に個人インタビューをしていただける日でもあったので、前回のインタビューからの個人的な Aha!のポイントをご報告し、また、それについて、いろいろと具体的なアドバイスをいただくことができました。

週末の2日間、3日間のリトリートは、宿泊の準備もほとんど必要ない、とても気軽に参加できるものだと思いますが、短期集中で瞑想して、その上、禅師とのインタビューで個人的な修行アドバイスもいただけるという大変濃密で貴重な時間だと思います。

その後、禅師からいただいたアドバイスを胸に秘めながら、午後9時まで瞑想して、今回のリトリートが終了しました。

上にも書きましたが、今回のリトリートも、私にとって、大変濃密で貴重な時間でした。

他の参学者の皆様も、ぜひ短期リトリートへの参加をご検討ください。

参学者L

第2回マインドフルセミナー「絆-ここちよい人間関係の作り方」

本日は第2回マインドフル・セミナーが行われました。このセミナーは一般の方々に仏教の素晴らしさをお伝えするという趣旨で、2ヶ月に一度開催されています。今回はレンガ造りのおしゃれなカフェ・スペースのような会場で、参加者は禅師を囲むように座り、くつろいだ雰囲気の中で法話が始まりました。

今回のテーマは「絆 - ここちよい人間関係の作り方」です。

今日のお話のハイライトをいくつか挙げてみます。

人と人との関係には、「仲がよい」⇔「喧嘩をしている」という二極の間に、様々な微妙なニュアンスをともなったレベルがあること。
そのニュアンスを客観的に認識することから、人間関係の改善がはじまること。
その人との最も適切な距離を知り、それを保つこと。
貪りによって距離を縮めたり、怒りや嫉妬によって距離を離したりしないこと。
相手から攻撃を受けた場合は、言い訳や反論はせず、反撃もせず、沈黙を守り、しばらく距離を置くこと。 そのかたがその行為によって異熟現象を結実させた場合は、終始ただ中捨の心に住すること。

人間関係は、言葉や行動によるキャッチボールのようなものであり、
相手がどんなボールを投げてこようが、相手が取りやすいボールを投げてあげることを旨とすること。
ドッジボールのように相手にぶつけるためにボールを投げるのは、コミュニケーションではない。それは心が成熟していない人がやることである。
むしろ、たとえ相手がドッジボールのような球を投げてきても、うまくキャッチし、
相手に対してはいつも、捕球しやすいボールを投げてあげること。
成熟した人間であれば、そのように反応するべきである。
人間関係を改善したい場合は、Gratitudeの随念を試してみること。

以上のようなお話のあと、美味しいチャイとプラサードがふるまわれ、Q&Aがおこなわれました。


とてもオープンな雰囲気の中、会社での人間関係、家族との関係のこと、友達との飲み会のこと、夫の昇進を巡っての主婦同士の嫉妬のことなど、いつもの瞑想会では出ないような、日常的で身近な質問が次から次へと飛び出しました。
禅師も時に例えを交えながら、わかりやすくお答えになりました。

ともすれば初心を忘れがちで、Satiも未熟な私にとっては、マインドフルセミナーは原点を思い出させてくれる貴重な機会です。
今回も「そうだ、適切な距離感が大事だった」と再認識でき、またキャッチボールの例えはとても新鮮で、これからは常に心掛けたいと思いました。

参学者N