8/26ウポサタ傳修会

本日はウポーサタ傳修会でした。晴れの日が続いており、道場の庭の草木に散水しても直ちに乾いてしまいます。帰り際にもう一度散水しましたが、気になります。

アビダンマの講義では、禅師に指名された六人の参学者が前に立ち、二十四縁起詳説の最初から最後までを暗誦読誦しました。


二十四縁起詳説は、現象と現象の縁が解けたら消滅する(無常である)ことを示す重要なダンマであり、毎日随念を行えば「天界に再生して仏教修行を加速させる」ほどの波羅蜜が積める福田であるが故に、暗誦した二十四縁起のスタンザを、意味をかみしめながら、怠ることなく、日々読誦・随念することを、臨終の日まで続けるよう指導がありました。

修行報告に基づく瞑想指導では、一座ごとに瞑想のレビューを行い、一日の終わりには必ず修行日誌をつけるよう指導されました。忙しい社会人には無駄にできる時間はないのだから、効率的に修行を進めるためにも必ず実践するべきであるとのことでした。

また一度瞑想がうまくいった後、同じレベルの瞑想が再現できないとの報告に対しては、「深い専注を再び得よう」という思いには必ず「私」が内在しており、その時の心はDiṭṭhigata-sampayuttam lobha-mula cittaであって、SatiもPaññāも生起しないため、正念正知や五根は得られず、よい専注が得られないのは当然であると、指摘されました。

無礙解道論の十八随煩悩の解説にもあったとおり、過去や未来に一瞬でも心が向けば、その瞬間に専注の対象から心が離れてしまう事実を忘れてはならないとのことでした。

さらに参学者の方々に次のように問いかけられました。
「みなさんはお釈迦様を自らの内なる導き手として受け入れているでしょうか?」
「サーリプッタ長老やアーナンダ長老は、お釈迦様と離れて遊行しているときも、内なる導き手であるお釈迦様を心に観想し、自分とお釈迦さまとひとつである、という甘美な思いで心が満たされていました。みなさんにも同じような経験がありますか?」と。

お釈迦様への思いと正思惟こそが、幸せ・成長・涅槃への道であって、アビダンマの知識や瞑想の技術は、彼岸に渡るためのイカダに過ぎない、修行が進めば進むほど、この基本をしっかりと心に根付かせる必要があると強調されました。

参学者 S

8/19ウポサタ傳修会

立秋も過ぎ、三日間の旧盆も終わり、空も雲もすっかり秋めいてまいりました。
今日は風も心地よく、清々しい気持ちで傳修院へ向かいます。

先々週でPaṭṭhānaniddeso (二十四縁起詳説)の各縁起のスタンザの解説が終わり、先週から各縁起のPaccaya Dhamma(縁法)とPaccayuppanna Dhamma (縁所生法)についての更に踏み込んだ講義が始まりました。

全スタンザの暗記を終えて、これからは各縁起の縁法・縁所生法として生起するすべてのCitta、それに随起するCetasika、Cittaja-rūpa、Kammaja-rūpaを、自由に観法に使えるレベルにまで身につけていく段階に入るとのことでした。今まで以上に課題・宿題も出されるとのことです。

本日は、先週のHetupaccayoの解説の時に出された宿題の確認から講義が始まりました。
Eka-hetuka(一因)、dvi-hetuka(二因)、ti-hetuka(三因)の各Citta(心)と随起するCetasika(心所)を、それぞれすべて列挙して考察していくのですが、禅師は問いかけの形で私たち参学者からすべての答えを引き出しつつ、そこに懇切丁寧な解説を加えていかれました。

 

内心ビクビクしながら聴講しましたが、私に限って言えば、今まで何度も反復して習い覚えているはずのダンマなのに、禅師の問いかけに対して直ぐに答えが出て来なかったり、突然頭が真っ白になってしまったりと、表面的に覚えているだけで、まだSecond Natureのレベルまで身についてはいないなあ、と痛感させられた講義となりました。

その後、禅師の新しい座蒲についてのお話がありました。
禅師は、ご自身の体験を通して考案された座蒲を、個人的なご修行に長く使っておられます。
最近、傳修院では、禅師の座蒲のシグナチャー・モデル(公式コピーモデル)が制作され、希望する参学者に順次お分けできるようになりました。
この座蒲は参学者の方々がいつも使っている丸い形の座蒲とはまったく違う形状で、座り心地もまったく異なり、
・そば殻による形状記憶で腰と腿全体を支えてくれるため、下半身が安定し、正しい姿勢を長時間保つことができる ・足腰の痛みが大きく軽減される ・その日の骨盤と股関節の状態に合わせて紐で簡単に高さを調節できる ・通気性がよく夏でもむれない 等の特徴があります。
ご興味のある方は、傳修院1階にサンプルがありますから、試されるのも良いかと思います。

次に、質問に答える形で、五蓋(煩悩)の抑制についてのお話がありました。
すでに心に生起してしまった五蓋を抑制しようとしても抑制することはできない、故に五蓋の萌芽となる思考や記憶を生起させない、生起してしまったらすぐに捨て去る、ということに主眼を置くよう、指導していただきました。

要約すると、
・LobhaやDosaは、些細な思考や記憶という形で一瞬の隙に心に入り込み、やがて雪だるま式にAkusalaのスパイラルを増長させていく、やがて心は取返しのつかない状態にまで汚され、瞬く間にコントロール不能のレベルに達し、もはや瞑想どころではなくなってしまう、
・すでに生起し、心を席巻したAkusala Dhammaは非常に強力で、まともに対峙しても、決して抑さえ込むことはできない、
・だからそうなる前に、Indriya-saṁvara-sīla(根律儀戒)によってAkusalaの萌芽を心の対象から外してしまい、その都度、向かうべき対象に心を戻していくことが大切である、というご指導でした。
また「五蓋の抑制とは、すでに生起した五蓋と対峙して、煩悩を抑え込んでいくということではなく、様々な前行や根律儀戒を通じて、五蓋が生起しない心の状態を保つ、という意味である」との指摘が特に印象に残りました。

私自身、心が安定して静まっている時は、根律儀戒を意識し続けることができるのですが、仕事が立て込んで忙しい時など、心を動揺させる要因が多く生起すると(*)、たちまち根律儀戒どころでは無くなってしまうので、これからもさらに心を引き締め、十分な念をもって精進していきたいと思いました。

参学者Y

 

 

 

(*) HP編集者註:心は動揺している限り、悪魔の領域に属する  ー 龍樹

8/12ウポサタ傳修会

今年の夏は異常な暑さが続いていますが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。

先週のアビダンマ講義で、ついに二十四縁起のスタンザの解説がすべて終わりました。

私は毎朝、スタンザを暗誦しながら自転車で職場に出勤しているので、講義の進行に合わせてほぼリアルタイムに暗記を積み重ねていくことができました。

もちろんまだ引っかかるところは多く、油断していると、ところどころ頭から溢れそうになったり細部が曖昧だったりしますから、その度にテキストを確認して記憶の強化に努めています。しかし何はともあれ、二十四縁起のスタンザ全てをコンプリートした達成感は非常に気持ちの良いものでした。

そんなことを感じながら今日のアビダンマ講座に出席しました。
次は何をやるのだろうと思っていると、今度は最初のHetupaccayoから順番に、ひとつひとつの縁起をさらに掘り下げて学んでいくとのこと! まだまだ勉強は続きます。

続く質疑応答の時間では、以前から疑念を抱いていたことについて質問を提出し、詳細なお答えをいただきました。
私がやっている習い事と戒律に関しての質問でしたが、おかげさまで完全に疑念を晴らすことが出来ました。

私はその習い事を、すでに何十年も続けてきました。そして一つの道を究めるということが、どんなに大変なことか、如何に長い時間がかかるか、骨身にしみて実感しています。
その経験をそのまま仏教修行に当てはめると、仏教を究めるという目標への、道のりの長さ、険しさを、私なりに実感をともなって想像することができるように思います。

私は仏教を始めてまだ6年、禅師のもとで本格的に修行を始めてまだ3年半程です。
習い事を始めて3年たった頃、或いは6年たった頃の自分を思い出すと、私自身、どれほど未熟だったか、視野がいかに狭かったかが思い知らされます。
それを仏教修行に当てはめれば、自分がまだまだ未熟なのは当然ですし、ひとつの業處をマスターするのに思った以上に時間がかかるのも当然だな、と納得できました。
習い事の経験が、仏教修行に本当に役立っているな、習い事を続けてきてよかったな、と心から思いました。

 

瞑想会の終了後、運良く禅師と少しお話しさせていただくことができました。
禅師から、今後も仏教と平行して習い事を続けて行けばよいとのお墨付きをいただき、自分の今後の生き方に確信が持てました。
先週の原始仏教トークの御法話にもあったように、これからは修行も習い事も、よりダイナミックにやっていきたいと思いました。
本日はどうもありがとうございました。

参学者KL

8/5ウポサタ傳修会、第53回原始仏教トーク「仏教があなたのためにできること」、初転法輪祭

本日は中央区新富区民館にて、ウポサタ傳修会、原始仏教トーク、初転法輪祭が開催されました。

まずは午前10時よりアビダンマ講座。今日の講義は二十四縁起の最後のふたつ、Vigatapaccayo(離去縁)とAvigatapaccayo(不離去縁)のスタンザの解説です。このふたつの縁起のPaccaya-dhamma(縁法)とPaccayu’ppanna-dhamma(縁所生法)はそれぞれ非有縁、有縁と同じとなりますが、実際の修行の現場では、識別する視点が異なるとのことでした。
本日で24縁起の各スタンザの解説が終わり、次週からいよいよ実践の修行に則した縁起の詳細な伝法に入るとのことで、まだ暗記してないスタンザを完全に頭に入れて、みなさんに置いていかれないようにしなくてはと思いました。

昼からは授戒と六随念の読誦、続いて原始仏教トーク「仏教があなたのためにできること」がおこなわれました。
禅師は先ず、近年の「心の安らぎを得るために瞑想をする」といった風潮や、仏教徒である以上、在家であっても世間的な成功や幸せな結婚をなんとなく求めにくい暗黙の傾向性をきびしく批判され、お釈迦さま在世当時の仏教はもっと力強いものだったと宣言されました。お釈迦様は多くのお経の中で、仏教を奉ずることによって今生における福寿禄官印の隆昌、死後の欲天界への再生、そして涅槃証悟という三つの福が得られると説かれており、私達在家の修行者が、いま自分が置かれている立場で成功すること(幸せな家庭、経済的な豊かさ、社会的な地位、健康長寿など)、死後、欲天界への再生を願うことは、Dhammaによって完全に是認されていること、むしろそれらを求めることは在家仏教修行の本道そのものである、と断言されました。そのためには力強い誓願を心に抱きつつ、布施行や奉仕行などの積徳行を貪欲に為して、福徳・波羅蜜を我が身に蓄積していくのが唯一の方法である、と説かれました。禅師はいつもにも増して我々に力強く説法され、言葉を超えた確信が心にダイレクトに入ってきました。

 

傳修院の道場が開山されて以来、我々にも様々な積徳の機会が与えられています。私もより積極的に道場の活動に参加し、清らかな心と強い誓願をもって貪欲に積徳に取り組んでいきたいと思います。

続いて初転法輪祭を記念する特別法要が親修されました。清らかな雰囲気の中、禅師から一人一人に修行順調を祈念したお札と初転法輪経の授与が行われました。

 

最後に質疑応答が行なわれました。

最初に、Mettā Suttaの「Sabbe satta bhavantu sukhitattā (一切の生きとし生けるものは平安であれ)」のPāḷi語の文法について質問がありました。

続いて、善行為を行おうとする度にその行為を妨害するような事態が発生する場合、それはUpapīlaka Kamma(妨害業)という過去の不善業によるものであり、何度妨害されたとしても諦めずにやり続けることが大切であること、決して不善業の妨害を「天からの霊示」と取り違えてはならないことなど、アドバイスをいただきました。また安般念を成就するためには、入出息という所縁に対して、どのくらいのコミットメントが必要かという点について、過去の偉大な偉人達を例に取りながら、分かりやすく解説されました。

今週末からはリトリートが開催され、私も参加する予定です。修行が順調に進むよう、法友のみなさんとともにしっかり取り組みたいと思います。

参学者C

 

 

7/29ウポサタ傳修会

本日はウポサタ傳修会に参加しました。
台風一過で晴れやかな空…とはならず、不安定な天気となりましたが、いつものように修行者の皆様が集いました。

参学者TIさんによる渾身の野菜達!圧巻です

まずはアビダンマ講座です。本日はNatthipaccayo(無有縁)に関してご開示いただきました。この縁起のPaccaya-dhamma(因法)とPaccayuppanna-dhamma(果法)はAnantarapaccayo(無間縁)やSamanantarapaccayo(等無間縁)と同様ですが、視点が違うとのこと。今回の無有縁はPaccayaが消滅することによりPaccayuppannaが生起するという点にスポットが当たっており、一方無間縁ではPaccayaの消滅とPaccayuppannaの生起の間にいかなるインターバルもないという点にスポットが当たっているとのことでした。
安易に似ているダンマだからとスルーするのではなく深掘りして真意を探ればまた多くの学びが得られるのだと感じました。

 

 

 

続いて修行報告に基づく瞑想指導です。
瞑想中あるいは瞑想後における「しばしの放心」の重要性を説かれました。コツとしては、①心が満足するまでやめないこと、しかし②粗雑な意識に戻る前にやめること、と語られました。
続いて歩きながらの瞑想についての注意点が述べらました。チャンカマとはひとつの「立っている姿勢」から別の「立っている姿勢」への移行に他ならず、「歩く」という連綿たる動作として捉えてはならない、とのこと。また身体を動かしている瞬間は、心が瞑想の所縁から外れやすいので、できる限りゆっくりとした動作で、細心の注意をもって所縁への専注を継続することが大切であると、実演を交えながらご指導下さいました。

 

 

さらに、利他行やSelfless Serviceの重要性についても語られ、「他者の福利のために奉仕する」という基本的な積徳の後押しなしに修行完成は不可能であると、いつもにもまして熱い口調で語られました。

私もご奉仕をただやっているだけではなく、修行としてしっかりと捉え、四正勤法に基づきより向上させていこうと決意しました。

参学者のみなさんにも積極的に呼び掛けて協力してやっていきたいと思いますのでよろしくお願いします!

参学者C

 

7/22ウポサタ傳修会

猛烈な暑さが続くなか、外出は止めて家で休んでいたいという誘惑を振り切って、瞑想会に出席しました。

 

今日のアビダンマ講座は、二十四縁起の終盤、21番目のAtthipaccayo(有縁)を学びました。
講義の開始前には、二十四縁起のスタンザの暗唱のテスト?があります。
私も当たりましたが、一応憶えていたので何とか唱えることができました。
(個人的には禅師がランダムに当てるのはスリルがあって楽しいです。)

 

Atthipaccayo(有縁)のスタンザは長文ですが、内容的には既に学んでいるSahajātāpaccayo(倶生縁)やPrejātāpaccayo(前生縁)と同じパターンなので、暗記はそれほど難しくないだろうと思いました。
しかしAtthipaccayoは範囲が広く、実際に記されているスタンザ以外にも条件の合致する多くの縁起がある、
Atthipaccayoには七種のサブカテゴリーに分類されるが、スタンザは三種のサブカテゴリーについて開示されているにすぎない、とのことで、
二十四縁起を学ぶ難しさを垣間見た気がしました。
(Atthipaccayoの関係性を持つ二つの現象を全て挙げよ、などと言われると、途端に話が大変になります。)
とりあえず今は、最低限だけでも覚えられれば、と思っています。

続く質疑応答の時間では、「威嚇と抑止力」についての話が非常に興味深かったです。

威嚇が威嚇となりうるのは、相手に対する圧倒的な抑止力を背景に持っている場合のみである、ということ。
しかし、私達が相手を威嚇したいと思うときは、たいていそれを裏付ける抑止力を持っていない ⇒ 単なる泥仕合となってしまう。
私達が実際に相手に対する抑止力を持っていれば、相手に対する慈悲の心が生起し、かわいそうで威嚇を行使できない。
よって実生活において、私達仏教徒が誰かを威嚇するという必要性はほとんど存在しない、とのことでした。

 

私も、家で長年小鳥を飼っているので、よく分かります。
彼らは非常に怖がりなので、何か悪い事をしたとしても、威嚇するなど私にはとてもできません。
個人的な体験に重ね合わせながら実感を持ってお話を聴けたので、修行の上で役立てることが出来そうだと思いました。

 

 

 

参学者KI

7/15ウポサタ傳修会&リトリート

本日はウポサタ瞑想会に参加しました。

参学者TSさんが土からこだわり育てている蓮が見事に花を咲かせていました。本物を見るのは初めてでしたので感動いたしました。しかし夕方には散ってしまい、その命の短さに驚きました。新しい蕾をつけていますのでタイミングが合えば、きっと花をご覧になれるでしょう。

さて今回のアビダンマ講座は二十四縁起の相応縁及び非相応縁についての講義でした。前生縁及び後生縁に関連付けての解説で、改めて二十四縁起はそれぞれが独立したものでなく関連していることを思い知らされます。

続いてダンマに関する質疑応答がありました。
本日は主に誓願と善行為について話されました。
例として「教育の機会に恵まれなかった少女が次世では十分に教育を受けられる都会の女性に生まれたいという強い誓願を持って、限られた食物を比丘にお布施し続け、その結果願いが叶った話」があげられました。
我々は果たしてこの少女のように強い誓願を持っているのか?また自己放棄を伴うお布施やご奉仕のような善行為を、強い思いを持って継続しているのか?
禅師から問いかけられました。そして強い誓願と善行為を継続するためにパラミカードを活用して欲しいと強調されました。
私は今様々な作務をさせていただく機会に恵まれていますので、無駄にせず強い誓願を持って善なる思いで取り組んでいこうと思いました。

続いて翌日の月曜までリトリートに参加しました。暑いながら真剣に修行に取り組んでいる参学者の皆さんには大変刺激を受けました。瞑想の調子はあまりよくありませんでしたが、このような積み重ねが、いつか大いなる結果を生んでくれるのだろうと楽しみです。リトリートでは各自、個人インタビューを受けることができます。幾度か法話で触れられた内容であっても、その時のアドバイスとして再び語られると心に深く刺さるものがあります。まだ参加されたことない方も、是非お気軽に参加してください。お待ちしております。

参学者C

7/8傳修会&第52回原始仏教トーク「Jarā-時の流れを味方につける」

 

週半ば頃から降り続いた豪雨により、西日本の各県で多くの方々が被災されました。
犠牲となられた方々のご冥福をお祈り申し上げるとともに、一刻も早い復旧・復興を心より祈念いたします。

 

 

 

 

 

 

さて、今日も蒸し暑い1日でしたが、原始仏教トークということもあり、中央区佃区民館には、沢山の参学者の方々がいらっしゃいました。

 

 

 

 

朝10時からの「修行者のためのアビダンマ講座」では、二十四縁起中伝の第34回、Maggapaccayo(道縁)の講義が行われました。

 

ここで説かれる「Magga(道)」とは、苦集滅道、すなわち四聖諦の「道諦(=八支聖道)」でいう「道」ではなく、また、道智/果智でいう「道」でもありません。
Maggapaccayo(道縁)のMagga(道)とは、具体的にはNāmarūpa-sota(名色の連続体)をSugati(善趣)に導いていく道、及びDuggati(四悪趣)に堕としめる道を指します。
私達をSugatiに導く八種のKusala Magga(善道)と、Duggatiに堕としめる四種のAkusala Magga(不善道)について、相応するMaggaṅga(道支)を中心に、禅師から詳細な解説がありました。

スタンザ自体は先週のJhānapaccayo(禅縁)と同じ構成で、とても短いのですが、その意味するところは実に深淵です。

毎回、開示されるダンマの深さに驚かされ、本当に貴重な勉強をさせていただいているのだなと実感しているところです。

 

午後からは原始仏教トークが行われました。
今月のテーマは、一切の現象に本源的に内在しており、決して逃れることのできない苦のひとつである「Jarā(老い)」についてです。
修行者は、「生」を現世の誕生から死までに区切って捉えるのではなく、輪廻転生を何度も繰り返しながら涅槃証悟に至る自らのCitta-sota(心の連続体)の大きな流れを見据えるような、大いなる視点(Grand View)を持つことによって、時の流れを味方につけ、最終的なゴールに必ず到達することができるという、希望にあふれる御法話でした。

大誓願を心に持ち続け、アスピレーションを燃やしながら、善行を淡々と行い続けていけば、あとはダンマがすべて面倒をみてくださる。
お釈迦様の本当のダンマを学び、修行させて頂いていることに、深い感謝と幸せを感じております。

 

傳修院

参学者 習志野市 H.Y