9/16ウポサタ傳修会


本日は二十四縁起の第4番目、無間縁と等無間縁の縁法と縁所生法の講義でした。

講義に先立ち、詳説のスタンザの暗唱を禅師と参学者の皆様と共にお唱えすることから始まりました。

全員でスタンザを暗唱したのですが、
これは、自分自身に程よい緊張感を与えてくれ、
また、これから始まる講義に対する心構えが出来、
懐かしい学生時代の緊張感のある授業を思い出したりして、
とても新鮮な気持ちになり、いいことだなあ、と感じ入りました。

さて講義は先ず、無間縁と等無間縁の縁法、縁所生法、障礙法の説明があり、これを踏まえて詳しい解説に入っていきました。

無間とは間に何も無い、前の現象が消滅後、間髪入れずに次の現象が生起する。という意味ですが、
大切な事は、無間縁と等無間縁は全てのNāma Dhamma(名法)における縁起であって、Rūpa Dhamma(色法)は一切含まないとの解説を頂きました。

この解説から、幾つかの大切な事も列挙して御説明頂きました。

無間縁/等無間縁は、無始から今までのCitta-sota(Cittaの連続体)を作っている根本的縁起である、ということ、
無間縁/等無間縁の流れは誰にも止めることが出来ない故に、Anatta(無我)の体現とも観れること、
唯一の例外は阿羅漢に生起するCuti-citta(死亡心)であること、
しかし有情においては、ひとつの生存の最後のCuti-Cittaと次生のPaṭisandhādi Citta(結生心)は、境界は変わっても無間縁/等無間縁の関係に他ならないこと、
この縁起の特例として、滅尽定の入出時のVīthi(心路過程)の説明と、Asaññāsatta(無想天)を挟んだ輪廻転生時の説明がありました。
また、Nāma-sota(名の連続体)とRūpa-sota(色の連続体)を比較し、これらがまったく違う性質を持つことを、明確に解説されました。

日を追うごとに内容が詳細となり、また更に深まってゆかれるので、一つ一つを整理して、計画的な予習と復習が必要であると認識した次第です。

次に休憩を挟んでの瞑想指導がありました。
普段の生活の中で真摯に御修行をされている様子が、参学者の皆さんの質問から伺われ、また禅師の数々の質問に対するお答えが、質問者一人一人の現実に則した適切なお答えで、我が身に振り向けても大変為になるお話をお聴きすることができました。

習志野市 H.Y

9/8ウポサタ傳修会、第54回原始仏教トーク「ダンマが衰退する!」

本日は原始仏教トーク+ウポーサタ傳修会でした。
私は月に一度の原始仏教トークを聞くと、とても元気になるので毎回楽しみにしていますが今回の「ダンマの衰退」についてのお話は特別で、とてもショッキングなものでした。

お釈迦さまのお説きになる正しい三宝(仏、法、僧)が衰退しており
解脱に到るお釈迦様の教えと実践が失われかけている・・・

お釈迦様への信仰心が形骸化し、
禅定を軽視した小手先の瞑想技術ばかりが持てはやされ、意味を理解せずに些細な戒律ばかりを重視する風潮によって、現代の仏教は壊れかけている・・・

これも諸行無常のゆえか、と思いきや、よくよく考えてみれば、それはつまり私達仏教徒1人1人の心の中で、仏教が衰退しているということなんだ、と分かりました。

私達自身の持つお釈迦様への信が弱まり私達自身が、法を学んでそれを実践し実証していく、という努力を怠り苦を滅して幸せに到る道であるはずの仏教が目的を失ってしまっている。。

このような衰退が私の中でもまさに起こっている事に気づかされ、
慚愧の心がわきあがってきました。

幸いな事に傳修院では、お釈迦様が当時人々に教えていたであろう瑞々しい教えが今も説かれておりまたお手本になる真摯な修行者の方々も大勢います。

お釈迦様は般涅槃の直前、弟子達に対して、真摯に修行して幸せを得るよう、遺言されましたし、真摯に努力する修行者の意思と行いは、どんな高価な財宝よりも素晴らしい如来への供養であると、仰られております。

私達にそう言ってくださったお釈迦様、そしてダンマを伝えてくださった多くの偉大な仏弟子の方々のご恩に報いるためにも、貴重なこの機会を無駄にせず、もっと真面目に努力しなければならないと強く思った次第です。

法話の最後には、「このような状況だからこそ、私達はお釈迦様の教えである原始仏教を再興していきましょう!」という力強いお言葉が禅師から説かれ、私はいつも通り元気になりました。

私達1人1人が正しい道を歩き努力し続ければ原始仏教の再興という大きな目標も自ずと達成できると思います。

修行や作務をする上で得手不得手もあるでしょうし、様々な事情で中々時間が取れないこともありますが、
傳修院のメダカのお世話や禅師のTwitterを応援する事等できる事からコツコツと始めていきたいと思います。

今後私はどんな小さな作務や善行をする際にも、「原始仏教再興の一助となりますように!」という思いでさせて頂きますので、ブログをご覧の皆様も、お釈迦様の教えという希望を再興し!
さらに未だ来たらぬ友や、後世の友にダンマを残す!!為に、一緒に頑張って頂ければ嬉しく思います!!!

参学者PB

9/1ウポサタ傳修会-大悲禅師伝法伍周年-

 

2013年9月1日は、禅師が帰国されて第一回の瞑想会がスタートした日だそうです。本日(2018年9月2日)はその日から数えて5周年にあたります。今日、この会に参加されている方の中にも第一回目の瞑想会から、また2013年の当初から参加されている方が何人もいらっしゃるのを知り、その精進を継続する尊さと信の強固さに感銘を受けました。また、難解なアビダンマをはじめ貴重なダンマをできるだけ分かりやすく伝えようと常に心を砕いて伝法してくださる禅師への感謝の念も絶えません。

このような記念すべき日の朝、傳修院に着くとすでに参学者の方が持ち寄ったお菓子などが仏前にお供えされています。一坐の瞑想、昼食、授戒、チャンティングと進み、本日のアビダンマ講座では、Ārammaṇapaccayoの縁法(Paccaya Dhamma)と縁所生法(Paccay’uppanna Dhamma)とについての解説がありました。

具体的には、Ārammaṇapaccayoは11のサブグループに分けることができること、そしてその縁法と縁所生法は具体的にどのようなものか、いつものように禅師から詳細で明解な説明がありました。が、しかしすべてを説明していただけたわけではありません。肝心な部分については自分で考えるようにとのことでした。これまで、アビダンマについてその様々な分野の説明を聴き、内容を理解し、必要な部分は暗記する等の段階を経て、今度はそれらを土台として考察する段階に入ったようです。

思い出しますと、アビダンマを勉強し始めた当初の半年間ほど、アビダンマを学べば学ぶほど世界の成り立ちの秘密を目の当たりにするような知的興奮を感じながら勉強したことを覚えています。その時、「なぜこのように考えるのか」「この分類はどのような考え方から出てくるのか」等、ワクワクしながら学び、意味や内容を考え、理解しようとしていました。それはまったくの初学者レベルではありますが「あー、なるほどー」と少しずつですが理解できるたびに、一種の面白さを感じていたことを思い出します。これからのアビダンマ講座で禅師から出される宿題に正しい答えを導き出せるという自信は正直なところまったくありませんが、アビダンマの内容について考えることそれ自体は、とても楽しそうです。

 

アビダンマ講座の後は、禅師が日本で伝法を開始して5周年、その記念のお話と禅師より参学者にプラサードが手渡されました。続いて参学者の皆さんが持ち寄ったお供えのお菓子などを、一人ひとりが手に持ったビニール袋に入れていきました。大きなビニール袋がお菓子でいっぱいになります。幼稚園児なら狂喜する状況ですが、そろそろ幼稚園児の孫がいてもおかしくない年齢の私でも非常に楽しいです! このような機会はまさしく神様からの贈り物(プラサード)ですね! まあ、家に持って帰ると妻と大学生の息子の二人にすぐに食べられてしまうわけですが…

 

その後のダンマに関するQ&Aでは、「親の介護時に生起する感情(主にdosa)への対処について」「仏教で許容される欲の範囲とは」「自分の内なる導き手としてのブッダについて」などの質問に対して、禅師より丁寧な回答がありました。親の介護については自分自身も遠い郷里(青森)に高齢の母がおり、苦慮するところですので身につまされました。また、内なるお釈迦様と自我との関係のお話は実に深遠であり、考えさせられる内容です。

個人的な感想を許していただければ、私は新参者ですので、この5年間の会のエピソードや思い出話などを禅師やベテランの参学者の方から伺えたら大変嬉しいと思いました。

参学者SA

8/26ウポサタ傳修会

本日はウポーサタ傳修会でした。晴れの日が続いており、道場の庭の草木に散水しても直ちに乾いてしまいます。帰り際にもう一度散水しましたが、気になります。

アビダンマの講義では、禅師に指名された六人の参学者が前に立ち、二十四縁起詳説の最初から最後までを暗誦読誦しました。


二十四縁起詳説は、現象と現象の縁が解けたら消滅する(無常である)ことを示す重要なダンマであり、毎日随念を行えば「天界に再生して仏教修行を加速させる」ほどの波羅蜜が積める福田であるが故に、暗誦した二十四縁起のスタンザを、意味をかみしめながら、怠ることなく、日々読誦・随念することを、臨終の日まで続けるよう指導がありました。

修行報告に基づく瞑想指導では、一座ごとに瞑想のレビューを行い、一日の終わりには必ず修行日誌をつけるよう指導されました。忙しい社会人には無駄にできる時間はないのだから、効率的に修行を進めるためにも必ず実践するべきであるとのことでした。

また一度瞑想がうまくいった後、同じレベルの瞑想が再現できないとの報告に対しては、「深い専注を再び得よう」という思いには必ず「私」が内在しており、その時の心はDiṭṭhigata-sampayuttam lobha-mula cittaであって、SatiもPaññāも生起しないため、正念正知や五根は得られず、よい専注が得られないのは当然であると、指摘されました。

無礙解道論の十八随煩悩の解説にもあったとおり、過去や未来に一瞬でも心が向けば、その瞬間に専注の対象から心が離れてしまう事実を忘れてはならないとのことでした。

さらに参学者の方々に次のように問いかけられました。
「みなさんはお釈迦様を自らの内なる導き手として受け入れているでしょうか?」
「サーリプッタ長老やアーナンダ長老は、お釈迦様と離れて遊行しているときも、内なる導き手であるお釈迦様を心に観想し、自分とお釈迦さまとひとつである、という甘美な思いで心が満たされていました。みなさんにも同じような経験がありますか?」と。

お釈迦様への思いと正思惟こそが、幸せ・成長・涅槃への道であって、アビダンマの知識や瞑想の技術は、彼岸に渡るためのイカダに過ぎない、修行が進めば進むほど、この基本をしっかりと心に根付かせる必要があると強調されました。

参学者 S

8/19ウポサタ傳修会

立秋も過ぎ、三日間の旧盆も終わり、空も雲もすっかり秋めいてまいりました。
今日は風も心地よく、清々しい気持ちで傳修院へ向かいます。

先々週でPaṭṭhānaniddeso (二十四縁起詳説)の各縁起のスタンザの解説が終わり、先週から各縁起のPaccaya Dhamma(縁法)とPaccayuppanna Dhamma (縁所生法)についての更に踏み込んだ講義が始まりました。

全スタンザの暗記を終えて、これからは各縁起の縁法・縁所生法として生起するすべてのCitta、それに随起するCetasika、Cittaja-rūpa、Kammaja-rūpaを、自由に観法に使えるレベルにまで身につけていく段階に入るとのことでした。今まで以上に課題・宿題も出されるとのことです。

本日は、先週のHetupaccayoの解説の時に出された宿題の確認から講義が始まりました。
Eka-hetuka(一因)、dvi-hetuka(二因)、ti-hetuka(三因)の各Citta(心)と随起するCetasika(心所)を、それぞれすべて列挙して考察していくのですが、禅師は問いかけの形で私たち参学者からすべての答えを引き出しつつ、そこに懇切丁寧な解説を加えていかれました。

 

内心ビクビクしながら聴講しましたが、私に限って言えば、今まで何度も反復して習い覚えているはずのダンマなのに、禅師の問いかけに対して直ぐに答えが出て来なかったり、突然頭が真っ白になってしまったりと、表面的に覚えているだけで、まだSecond Natureのレベルまで身についてはいないなあ、と痛感させられた講義となりました。

その後、禅師の新しい座蒲についてのお話がありました。
禅師は、ご自身の体験を通して考案された座蒲を、個人的なご修行に長く使っておられます。
最近、傳修院では、禅師の座蒲のシグナチャー・モデル(公式コピーモデル)が制作され、希望する参学者に順次お分けできるようになりました。
この座蒲は参学者の方々がいつも使っている丸い形の座蒲とはまったく違う形状で、座り心地もまったく異なり、
・そば殻による形状記憶で腰と腿全体を支えてくれるため、下半身が安定し、正しい姿勢を長時間保つことができる ・足腰の痛みが大きく軽減される ・その日の骨盤と股関節の状態に合わせて紐で簡単に高さを調節できる ・通気性がよく夏でもむれない 等の特徴があります。
ご興味のある方は、傳修院1階にサンプルがありますから、試されるのも良いかと思います。

次に、質問に答える形で、五蓋(煩悩)の抑制についてのお話がありました。
すでに心に生起してしまった五蓋を抑制しようとしても抑制することはできない、故に五蓋の萌芽となる思考や記憶を生起させない、生起してしまったらすぐに捨て去る、ということに主眼を置くよう、指導していただきました。

要約すると、
・LobhaやDosaは、些細な思考や記憶という形で一瞬の隙に心に入り込み、やがて雪だるま式にAkusalaのスパイラルを増長させていく、やがて心は取返しのつかない状態にまで汚され、瞬く間にコントロール不能のレベルに達し、もはや瞑想どころではなくなってしまう、
・すでに生起し、心を席巻したAkusala Dhammaは非常に強力で、まともに対峙しても、決して抑さえ込むことはできない、
・だからそうなる前に、Indriya-saṁvara-sīla(根律儀戒)によってAkusalaの萌芽を心の対象から外してしまい、その都度、向かうべき対象に心を戻していくことが大切である、というご指導でした。
また「五蓋の抑制とは、すでに生起した五蓋と対峙して、煩悩を抑え込んでいくということではなく、様々な前行や根律儀戒を通じて、五蓋が生起しない心の状態を保つ、という意味である」との指摘が特に印象に残りました。

私自身、心が安定して静まっている時は、根律儀戒を意識し続けることができるのですが、仕事が立て込んで忙しい時など、心を動揺させる要因が多く生起すると(*)、たちまち根律儀戒どころでは無くなってしまうので、これからもさらに心を引き締め、十分な念をもって精進していきたいと思いました。

参学者Y

 

 

 

(*) HP編集者註:心は動揺している限り、悪魔の領域に属する  ー 龍樹

8/12ウポサタ傳修会

今年の夏は異常な暑さが続いていますが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。

先週のアビダンマ講義で、ついに二十四縁起のスタンザの解説がすべて終わりました。

私は毎朝、スタンザを暗誦しながら自転車で職場に出勤しているので、講義の進行に合わせてほぼリアルタイムに暗記を積み重ねていくことができました。

もちろんまだ引っかかるところは多く、油断していると、ところどころ頭から溢れそうになったり細部が曖昧だったりしますから、その度にテキストを確認して記憶の強化に努めています。しかし何はともあれ、二十四縁起のスタンザ全てをコンプリートした達成感は非常に気持ちの良いものでした。

そんなことを感じながら今日のアビダンマ講座に出席しました。
次は何をやるのだろうと思っていると、今度は最初のHetupaccayoから順番に、ひとつひとつの縁起をさらに掘り下げて学んでいくとのこと! まだまだ勉強は続きます。

続く質疑応答の時間では、以前から疑念を抱いていたことについて質問を提出し、詳細なお答えをいただきました。
私がやっている習い事と戒律に関しての質問でしたが、おかげさまで完全に疑念を晴らすことが出来ました。

私はその習い事を、すでに何十年も続けてきました。そして一つの道を究めるということが、どんなに大変なことか、如何に長い時間がかかるか、骨身にしみて実感しています。
その経験をそのまま仏教修行に当てはめると、仏教を究めるという目標への、道のりの長さ、険しさを、私なりに実感をともなって想像することができるように思います。

私は仏教を始めてまだ6年、禅師のもとで本格的に修行を始めてまだ3年半程です。
習い事を始めて3年たった頃、或いは6年たった頃の自分を思い出すと、私自身、どれほど未熟だったか、視野がいかに狭かったかが思い知らされます。
それを仏教修行に当てはめれば、自分がまだまだ未熟なのは当然ですし、ひとつの業處をマスターするのに思った以上に時間がかかるのも当然だな、と納得できました。
習い事の経験が、仏教修行に本当に役立っているな、習い事を続けてきてよかったな、と心から思いました。

 

瞑想会の終了後、運良く禅師と少しお話しさせていただくことができました。
禅師から、今後も仏教と平行して習い事を続けて行けばよいとのお墨付きをいただき、自分の今後の生き方に確信が持てました。
先週の原始仏教トークの御法話にもあったように、これからは修行も習い事も、よりダイナミックにやっていきたいと思いました。
本日はどうもありがとうございました。

参学者KL

8/5ウポサタ傳修会、第53回原始仏教トーク「仏教があなたのためにできること」、初転法輪祭

本日は中央区新富区民館にて、ウポサタ傳修会、原始仏教トーク、初転法輪祭が開催されました。

まずは午前10時よりアビダンマ講座。今日の講義は二十四縁起の最後のふたつ、Vigatapaccayo(離去縁)とAvigatapaccayo(不離去縁)のスタンザの解説です。このふたつの縁起のPaccaya-dhamma(縁法)とPaccayu’ppanna-dhamma(縁所生法)はそれぞれ非有縁、有縁と同じとなりますが、実際の修行の現場では、識別する視点が異なるとのことでした。
本日で24縁起の各スタンザの解説が終わり、次週からいよいよ実践の修行に則した縁起の詳細な伝法に入るとのことで、まだ暗記してないスタンザを完全に頭に入れて、みなさんに置いていかれないようにしなくてはと思いました。

昼からは授戒と六随念の読誦、続いて原始仏教トーク「仏教があなたのためにできること」がおこなわれました。
禅師は先ず、近年の「心の安らぎを得るために瞑想をする」といった風潮や、仏教徒である以上、在家であっても世間的な成功や幸せな結婚をなんとなく求めにくい暗黙の傾向性をきびしく批判され、お釈迦さま在世当時の仏教はもっと力強いものだったと宣言されました。お釈迦様は多くのお経の中で、仏教を奉ずることによって今生における福寿禄官印の隆昌、死後の欲天界への再生、そして涅槃証悟という三つの福が得られると説かれており、私達在家の修行者が、いま自分が置かれている立場で成功すること(幸せな家庭、経済的な豊かさ、社会的な地位、健康長寿など)、死後、欲天界への再生を願うことは、Dhammaによって完全に是認されていること、むしろそれらを求めることは在家仏教修行の本道そのものである、と断言されました。そのためには力強い誓願を心に抱きつつ、布施行や奉仕行などの積徳行を貪欲に為して、福徳・波羅蜜を我が身に蓄積していくのが唯一の方法である、と説かれました。禅師はいつもにも増して我々に力強く説法され、言葉を超えた確信が心にダイレクトに入ってきました。

 

傳修院の道場が開山されて以来、我々にも様々な積徳の機会が与えられています。私もより積極的に道場の活動に参加し、清らかな心と強い誓願をもって貪欲に積徳に取り組んでいきたいと思います。

続いて初転法輪祭を記念する特別法要が親修されました。清らかな雰囲気の中、禅師から一人一人に修行順調を祈念したお札と初転法輪経の授与が行われました。

 

最後に質疑応答が行なわれました。

最初に、Mettā Suttaの「Sabbe satta bhavantu sukhitattā (一切の生きとし生けるものは平安であれ)」のPāḷi語の文法について質問がありました。

続いて、善行為を行おうとする度にその行為を妨害するような事態が発生する場合、それはUpapīlaka Kamma(妨害業)という過去の不善業によるものであり、何度妨害されたとしても諦めずにやり続けることが大切であること、決して不善業の妨害を「天からの霊示」と取り違えてはならないことなど、アドバイスをいただきました。また安般念を成就するためには、入出息という所縁に対して、どのくらいのコミットメントが必要かという点について、過去の偉大な偉人達を例に取りながら、分かりやすく解説されました。

今週末からはリトリートが開催され、私も参加する予定です。修行が順調に進むよう、法友のみなさんとともにしっかり取り組みたいと思います。

参学者C

 

 

7/29ウポサタ傳修会

本日はウポサタ傳修会に参加しました。
台風一過で晴れやかな空…とはならず、不安定な天気となりましたが、いつものように修行者の皆様が集いました。

参学者TIさんによる渾身の野菜達!圧巻です

まずはアビダンマ講座です。本日はNatthipaccayo(無有縁)に関してご開示いただきました。この縁起のPaccaya-dhamma(因法)とPaccayuppanna-dhamma(果法)はAnantarapaccayo(無間縁)やSamanantarapaccayo(等無間縁)と同様ですが、視点が違うとのこと。今回の無有縁はPaccayaが消滅することによりPaccayuppannaが生起するという点にスポットが当たっており、一方無間縁ではPaccayaの消滅とPaccayuppannaの生起の間にいかなるインターバルもないという点にスポットが当たっているとのことでした。
安易に似ているダンマだからとスルーするのではなく深掘りして真意を探ればまた多くの学びが得られるのだと感じました。

 

 

 

続いて修行報告に基づく瞑想指導です。
瞑想中あるいは瞑想後における「しばしの放心」の重要性を説かれました。コツとしては、①心が満足するまでやめないこと、しかし②粗雑な意識に戻る前にやめること、と語られました。
続いて歩きながらの瞑想についての注意点が述べらました。チャンカマとはひとつの「立っている姿勢」から別の「立っている姿勢」への移行に他ならず、「歩く」という連綿たる動作として捉えてはならない、とのこと。また身体を動かしている瞬間は、心が瞑想の所縁から外れやすいので、できる限りゆっくりとした動作で、細心の注意をもって所縁への専注を継続することが大切であると、実演を交えながらご指導下さいました。

 

 

さらに、利他行やSelfless Serviceの重要性についても語られ、「他者の福利のために奉仕する」という基本的な積徳の後押しなしに修行完成は不可能であると、いつもにもまして熱い口調で語られました。

私もご奉仕をただやっているだけではなく、修行としてしっかりと捉え、四正勤法に基づきより向上させていこうと決意しました。

参学者のみなさんにも積極的に呼び掛けて協力してやっていきたいと思いますのでよろしくお願いします!

参学者C