2月18日ウポサタ傳修会

朝、電車の中で、宿題の二十四縁起中伝の暗記をしつつ、傅修院に。
10時前に到着、お布施・アディッターナの後、10時から11時半まで瞑想。開始時、瞑想室にはいつものメンバーが5名ほど。私は普段、10分単位でアーナパーナをやっているのですが、この時ばかりはフリーライドで、長時間の瞑想にトライしています。
そして、12時から30分程の受戒とチャンティング。禅師の姿を直に見て、気持ちが引き締まります。


13時から「修行者のためのアビダンマ講義#212 パッターナ中伝14」が始まり、今回は二十四縁起の倶生縁の講義2回目。冒頭、恒例のスタンザの暗唱テストがあり、事前に心に決めてきた通りに最初に挙手、ドキドキしながら暗唱の初デビューを果たしました。講義では、この縁起理解の基礎として、Rūpaの丁寧な復習をやって頂きました。Rūpaの復習は次回も続きます。


その後、休憩を挟んで質疑応答のパート。経の語句の解釈、修行法等に関する修行者からの様々な真摯な質問に、いつものように禅師が一つ一つ、丁寧に答えてゆかれます。
15時半頃、参加者の集合写真を撮って、傅修会は終了しました。

今回の傅修会では、修行における暗記・暗唱の重要性のお話がありました。現在、我々は二十四縁起中伝を講義頂いており、各縁起の学習の最初のステップとして、スタンザ暗唱の指示を頂いています。内容が分からず、パーリの文法も分からない状態での暗唱は、正直辛いものがあります。でも最初に一旦、とにかく頭の中に入れてしまうことで、その後は本・資料から離れ、暗唱したスタンザを依りどころに機動的に内容の理解を進めて行ける、そして更に随念による深い理解や、最終的にはヴィパッサナーによるパラマッタレベルでの理解・実証につなげて行くことができる、というお話でした。二十四縁起に限らず、アビダンマ全般の暗記が半端なままの自分としては、まずは現在進行中の二十四縁起中伝に関して、講義の進捗に合わせて暗記を積み上げで確実にこなして行きたいと思います。

参学者TK

第14回水曜瞑想会

会社帰りの水曜瞑想会、前半30分間は禅師・参加者の皆さんとともに坐ります。傳修院の瞑想室で坐っていると心に安心を感じます。個人的な感想ですが、安心して瞑想できる場があるのは本当にいいなあ、と思います。

今日は、長く体調を崩されてお休みされていたOさんのお姿もありました。Oさんがいらっしゃるとなぜか、より安心します。「電気関係のプロだから何か壊れてもすぐ直してもらえる!」と思うからでしょうか…いえいえ、Oさんのお人柄のおかげです。
私はアーナパーナサティ実践もまだまだ初心者で、坐ることに一生懸命、いまのところ瞑想は楽しく好きですが、これから先は本当に長そうです。それだけに安心して坐れる傳修院の瞑想室の存在は非常に助かります。


さて、今日の法話は「日々の生活の中でプロテクションをお願いすること」についてでした。
プロテクションをお願いするとは、日常生活での思わぬ災難や事故、また、そこまでいかなくともアスピレーションがそこなわれるような事態、そうしたことが起こらないように仏法僧にお願いすることです。
まず、ブッダニミッタを常に所持するようにし、1分ほどの短い瞑想をした後、そのブッダニミッタをみながら(ない場合は想起しながら)Namo tassa〜、そしてpatthanuddeso(Hetu-paccayo, Arammana-paccayo~)を唱えます。
パッターナウッデソは強力なプロテクションとのことです。
その後、これから行うことの安全・安寧をお願いします。
そしてその事柄が無事終わったら、Namo tassa〜、三帰依、そして「どうもありがとうございました」と感謝し、廻向して終了です。
禅師は、小さなことだがとても大切なことです、と仰っていましたが、本当にその通りですね。
仕事や勉強、試験や車の運転、大事な商談の際など、また、何か災難がありそうなときなど、日常の出来事の前後に是非実践したいと思います。

参学者SA

2月10日〜2月12日 托鉢会、ウポーサタ傳修会、開山後初!リトリート

2月10日〜2月12日にかけて托鉢会、ウポーサタ傳修会そしてリトリートに参加しました。

まずは托鉢会です。リトリート前ということもあり、量や種類がいつもより気合が入っています。今回用意された料理の数々はリトリートの朝食、昼食としても活躍します!

 

リトリート前には玄関に参学者お手製の看板が取り付けられ、道場らしさがグッと増しました。そんな中いよいよ道場開山以来初となる公式リトリートの開始です。

まずは禅師からオリエンテーションが行われました。リトリート期間中は聖黙を保ちます。聖黙とはただ話さなければいいというわけではなく、加えてマインドフルに行動して物音を出来るだけさせないようにすることだと語られました。そうすることでブッダ在世当時、比丘1000人以上の集まりであっても、誰1人いないようであったとされる静寂な雰囲気に近づけるとのことでした。実践する際の注意点としてはあくまで自らの発する音に気を使うべきで、周りの人に対しては寛容な態度でいるようにとのことでした。

続いて伝法です。傳修院のリトリートでは伝法が行われ、修行するテーマが伝えられます。今回の伝法では、基本的な座り方、調心調息、そしてChankama(立禅、歩行瞑想)が語られました。

水曜瞑想会でも語られた、基本的な座り方(庚の三脚、背筋の伸ばし方など)や調心調息(息を吐き切り思い切り吸う、逆腹式呼吸)ですが、長年瞑想をしている方でも目から鱗のような充実かつ重要な内容でした。

Chankamaについては、アーナパーナサティの場合、息の出入りの感覚を決して失わないよう姿勢を変えたり、歩いたりすることが必須であるとのこと。また随念やお経を心で静かに唱えながらするのにChankamaは最適であるとも語られました。

今回のリトリートでは第2瞑想室がChankama用として解放され、座る瞑想用の第1瞑想室と自由に行き来しながら瞑想を実践することができました。長い時間座るのが苦手な方でも姿勢を変えることで1時間はあっという間に過ぎていきます。

久しぶりに個人インタビューも行われました。予定より長時間に及んだ大いに盛り上がり充実した内容の濃いインタビューだったようです。

また今回は食事前に四資具の考察(食事部分)、食厭想を唱えました。今後ウポーサタ傳修会の昼食でも実施される予定です。

日曜はウポーサタ傳修会です。リトリート期間中のため、道場を訪れる方は全員聖黙、八戒を護持します。道場の雰囲気がいつもより静寂、清浄に感じられます。

修行者のためのアビダンマ講座は今回からSahajāta-paccayo(倶生縁)です。短いながらエッセンスが詰まったダンマになります。講義は理解が必須となるrūpaについての復習も交えつつ進めます。そして受講者にはスタンザの暗記が求められます!

続いて修行報告に基づく瞑想指導です。
今回は全修行者へのアドバイスとして修行を深めるために四正勤法を活用することが推奨されました。また詳細な誓願の仕方を禅師御自身の誓願を紹介しつつ伝授いただきました。

 

そしてリトリートは翌日の17時まで行われました。瞑想合宿としては3日間という短い期間ですが、参加者の皆さんは伝法された内容を一生懸命実践され、とても内容の濃いリトリートとなりました。今後も連休を利用してリトリートは開催される予定です。道場の雰囲気もよく、充実したリトリートになること間違いなしですので新たな参加される方お待ちしています!

参学者C

第13回水曜瞑想会

本日は水曜瞑想会でした。リトリートの前ということもあり、気が引き締まります。

今日の法話は瞑想の姿勢についてと、瞑想に入る前の呼吸法についてでした。(調身と調息)

特に調息についてはこれをやるのとやらないのとでは気合の入り方が違います。

この法話はずっと初期の頃にされたそうですが、その頃は居なかったので、この場で話を聴くことができ、とても有意義でした。

リトリートまで2日ありますが、今日聴いた内容を実践しつつ、土曜日に備えたいと思います。

参学者K

二月四日ウポサタ傳修会

本日のアビダンマ講座は24縁起の5番目、「極無間縁」。1/14,21,28に渡り伝法された「無間縁」と、名称のみが違い、内容は一緒。


再度再度、心路過程に当てはめ、いつもの様に、所々、我々に質問をぶつけながら、伝法。
遠慮なくパーリ語を使い、 心路過程 も、皆、学習済みである事を前提の教導。
と、書いてくると、初心の方は、「こりゃ、敷居が高いワイ」となるでしょうが、ここから先が、禅師の禅師たるところ。その口調は、あくまでも優しく、愚鈍の弟子も、1度も叱る場面を見た事は無く、付いて来る者を決して見捨てる事が有りません。
そうして付いて行く内に、段々、解らぬながらも解って来、自然と、抵抗なく学習したくなる時が来ます。大丈夫。


例えは適切ではないかもしれませんが、・・・昔、ディズニーフリークの人に、『ディズニーランドの、どんなところが良いの?」と聞いたところ、『う〜ん、行ってみれば判る」と云う言葉が返って来ました。・・・この講座も、そのようなものかもしれません
勿論、物見胡散(うさん)や冷やかしでなく、「仏陀の説かれた解脱への道を、限りなく仏陀ご自身の言葉に近く聞き、知りたい」と云う強い希求の心が在る事、これが大前提ですが。

1/14以降、今日も、殆んど変わらぬ「循環フレーズ」のパーリ語の経文を、いいかげん、覚えても良さそうなものを、「はい、言える人!」の禅師の問いかけに、「まだ不十分」と、そっと目をそらす自分、禅師、ごめんなさい。

緊急報告‼️
2/10(土)〜12(月・祝)のリトリートで、「歩行瞑想」を中心に、歩きながら、立ちながら、座りながら、横たわりながら、の瞑想をどう云う風にやるか、の、伝法を行います‼️
条件、2/10(土)に伝法するので、この日は絶対出席‼️
もう1つの出席条件、4資具のピンタパータの所と、食厭想を覚えて来る事。

参学者W

原始仏教トーク第48回

本日の原始仏教トークのご法話は、昨日、買って読んでいたラーマクリシュナの本とメッセージが被るところがあり、Synchronicityを感じました。

以下引用。

奉仕の道と無私の行為―世を助けること

「あんたのやっていることは善い仕事だよ。もし”オレ”がやっているんだ、というウヌボレを捨てて無私の心ですれば、そうすりゃすごく善いことだ。無私の行いを続けていると神様に対する信仰と愛が増してくる。無私の行いを続けているうちに神をつかむことができるよ。」

「あんたが慈善の仕事をするのは、本当はあんた自身のためになるんだよ。オレがしてやっているんだ、というウヌボレを捨てて、無私の心でそうしたことができるようになると、心が清まってきて神への愛がだんだん深まってくる。そして、あの御方(引用者註:神)をつかまえることができる」

引用終わり。
マヘンドラ・グプタ (著),‎ 田中 嫺玉 (翻訳) 『大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉(コタムリト) 第一巻』ブイツーソリューション p.176-177

二番目の文の「神への愛がだんだん深まってくる。そして、あの御方をつかまえることができる」を「仏道修行を進ませることができる」と書き換えれば、概ね本日の、原始仏教トークの内容となります。

禅師のお話ですと、まず、修行の階梯として、
「信愛(Love)→奉仕(Devotion)→放棄(Surrender)」
のプロセスがあり、それらを行う意図(Intention)として、自利心、利他心、離見心があるというお話でした。
どの心も悪いものはない。
自分が死後、善い再生を得たいという自利心も決して悪いことではないが、自利心と(自利ベースの)利他心は、上記の「信愛(Love)→奉仕(Devotion)→放棄(Surrender)」という階梯を進む上で限界が生じてくるというお話でした。

禅師の言葉で印象に残ったのが、奉仕の心構えとして、
”not in my way, but in your own way”
(私の方法ではなく、あなたの方法で)という言葉でした。
また、「御心のままに」という言葉もありました。

私の体験として、年末から、仕事上で、仕事先の人とぶつかり、ストレスを感じていましたが、
先輩格の人に、相談したところ、「お客さんだから、素人だから」というようなことを言われ、たしかに、自分の考えたやり方や考え”in my own way”を相手にぶつけていたと反省しました。
なるべく相手の意向通りというスタンスにしましたら、精神的にも楽になったので、上記の言葉には腑に落ちる面がありました。

話を戻しますと、離見心とは、「オレが」「オレが」とか「私」「あなた」という境界線が消えた心とのことです。
上記のラーマクリシュナの言葉でいいますと、「<オレ>というものが消えた無私の心」なのかもしれません。
慈悲の行や、Ānāpāna Satiなどで、心が善なる心に満たされて、静寂になる。
そして、清らかな心に満たされ、まるでお釈迦さまと一体感を感じるような心―それが離見心とのお話でした。パーリ語で言えばNekkhammaに相当します。
そのような心で行えば、「信愛(Love)→奉仕(Devotion)→放棄(Surrender)」のプロセスをなんの限界もぶつかりもなく、進めていくことができるというお話でした。
そして、離見心という心の鍵となるのが、Saddhā(信)、Aspiration、
Samādhi(定)ということでした。
道元禅師にも、「学道はすべからく吾我をはなるべし」(『正法眼蔵随聞記』(ちくま学芸文庫)p.358)という言葉がありますが、この「我を離れる」というのは、
俗な話では、「我を捨てて仕事しろ」とか一般企業などでも聞く話です。
ブラック企業などでも聞く話です。
しかし、禅師のお話では、Saddhā(信)を置く対象、「御心のままに」という対象は、誰でも良いわけではなく、仏法僧などの善なる清らかな対象や、世俗であれば自分が学びたい上司などというお話でした。

離見心の鍵となるSaddhā(信)ですが、次回の原始仏教トークのテーマが、Saddhāだそうです。
上記のラーマクリシュナの本で、

「ハリ(ヴィシュヌ神の一名)や、ラーマ(ヴィシュヌ神の化身とみなされている古代の英雄。ラーマーヤナの主人公)の名を、一度でもとなえたら、たちまち体中の毛が逆立って涙がこぼれる」(p.73)

というSaddhāの描写がありましたが、
私も現在あまりSaddhāについてよくわかっていません。
理由として、私個人の問題以外に、
①戦後の唯物論的、無神論的教育
②新興宗教などによる「信仰」についての悪いイメージ
③分別説部の流れを組む論師による「Saddhāは、根拠のある条件付きのSaddhāである」という説(増支部カーラーマ経、スッタニパータの「信仰を捨てよ」、中部経典60無戯論経 ākāravatī saddhā根拠のある信 を根拠としてもの)
など、「Saddhāをわからせないように、Saddhāをわからせないように」という、Saddhāをわからせないような社会的な条件付けがあるように個人的には、思います。
そのため、ラーマクリシュナがおっしゃるような「たちまち体中の毛が逆立って涙がこぼれる」「体中が善なる清らかな心に浄化される」ようなSaddhāがピンとこない状況ですが、
ラーマクリシュナが「大実母カリー!」という圧倒的なSaddhā、神への愛が、あったのと同様に、ブッダと同時代に生きた弟子、尊者の方々も「お釈迦さま!」という圧倒的な清浄なるSaddhāがあったはずとは思っています。

今回の離見心の法話の理解を深め、
また、そういった不信、疑念に決着をつけるべく、
次回3月3日の原始仏教トーク第48回『Saddhā 仏教の信を科学する』を拝聴したいと思います。

(参学者)筆名:玄沙師備

第12回托鉢会

2月3日は托鉢会及び原始仏教トークの開催日でした。

傳修院が開山されてから2回目となります原始仏教トークは毎月第一土曜日の開催となります。

この日ばかりは必ず参加させていただきたく、仕事を休んでの参加となります。

皆さん禅師に美味しく食事をしていただく為、腕を揮って調理し、また美味しいお惣菜を買い求め沢山の料理がテーブルを埋め尽くします。

私は人様に手料理をご馳走するのがおそらく生まれて初めてですが、そのお相手が禅師と法友達ということもあり大変喜びを感じております。

今回作らせていただいたのは豆腐ハンバーグ、お味のほうはいかがでしたでしょうか?

 

皆さんの作った料理や持ち寄ったものは大変美味しくいただきました。

今後も料理のレパートリーも増やし皆さんにご馳走したいと思います。

そして、このあとにはダンマを一般の方に公開する原始仏教トークが控えています。

その直前の食のお布施です。

料理の味も大切ですが、食をお布施させていただくことに最も意味があり、食を与えさせて戴くことは命を与える事、それが比丘であればダンマを世に広める、お釈迦様のダンマを伝達することに協力させていただく大変徳の高い清らかな行いです。

 

このように私にとっての毎月第一土曜日の托鉢会および原始仏教トークは欠かす事のできない行事となりました。

皆さんも時間の都合が付きましたら是非一緒に参加しませんか

お待ちしております。

参学者 0

第12回水曜日瞑想会と2月リトリートについて

昨日は水曜瞑想会に参加しました。

まずは禅師、法友の皆様とともに30分の一座です。1人で座るより不思議とこの静寂な一座はあっという間に過ぎてゆきます。

続いてmini法話です。今回はきたる2月10日(土)〜2月12日(月)に行なわれる公式リトリートについてお話しされました。

今回のリトリートは八戒護持、聖黙徹底はもちろんのこと、歩行瞑想を中心とした四つの威儀姿勢について実践の伝授がされるとのことです。これは非常に楽しみですね!久しぶりの個人インタビューも実施され、短いながら充実したリトリートになりそうです。

参加者に課せられた義務としてリトリートまでに、日々の瞑想時間を増やして体を長時間の瞑想に慣らしておくことが重要だということです。

詳細はまた追って告知の予定です。
私も日々の瞑想時間を増やし備えたいと思います。参加者される方どうぞよろしくお願いします!

参学者C