第39回托鉢会、無礙解道論伝法、夏期リトリート開始

久しぶりに土曜日に一日お休みが取れたので、托鉢絵、及びリトリート初日に参加しました。道場に着くと、メダカの水槽が一回り大きなものに変わっており、中のメダカたちも、かなり成長して元気に泳ぎ回っていました。見ていると心が大変和みます。

仏教の八戒では、正午以降に食事が取れないので、午前10時前から場所のセッティングや料理の盛り付けなどの準備を始め、托鉢絵は10時半頃からの開始となります。

参加者全員で食厭想をパーリ語でお唱えしてから、皆が持ち寄った料理を頂きます。手作りだったり、お店で買ったものだったりと様々ですが、どれも禅師や参加者の方々のことを思った心にこもった品々が並びます。

托鉢会に参加して、凄いなと思うのは典座のIさんです。いつも食事が始まる前に、持ち寄られた料理一つ一つの名まえと材料、調理法、そしてどなたが持って来たのかを丹念にチェックして、それを全部覚えてしまいます。品数の多いときなど、結構大変な作業だと思いますが、Iさんは事もなげにサラッとこなしてしまいます。そしてそれを食事が始まる前にすべて禅師に説明します。

禅師はそれをじっと静かに聞いておられます。おそらく大変な集中力をもって耳を傾けておられるのだと思います。この場面は何度経験しても、心地よい緊張感が伝わって来ます。

少し前に現代語訳の出た小部経典の『天宮事経』などを見ると、お釈迦様やそのお弟子さんたちに食事のお布施をすることで、在家信者たちが大きな福徳を積んで、天界などに転生するお話がたくさん出てきます。21世紀になっても、それと同じような素晴らしい機会があるということは、大変ありがたいことだと思います。今のところ仕事の関係で、参加できる回数は限られていますが、禅師や毎回準備に携わっている方々に、ここで改めてお礼を申し上げたいと思います。

 

本日から傳修院開山以来二度目の八泊九日の長期リトリートがはじまります。
リトリートのスタートは、正午からの八戒の受戒、及び「無礙解道論」についての法話です。現在は修行法やそのコツについて説かれた「四善修習」を、経典の一行一行を解説する形で進められています。私は飛び飛びでしか参加できていないので、その全貌はつかめていませんが、これから瞑想修行を継続していく上で、非常に重要なダンマが凝縮して説かれています。

詳細は省きますが、今回の講義では、Susamāraddha(完全に等しいレベルに達するまでの精進)というキータームを中心に、三十七菩提分法の重要性が再度強調されていました。

思い起こせば数年前、初めて禅師にアーナパーナサティのやり方を教わった時、正直に言うと「あまり本などに書いていない少し変わった方法だなあ、出典はどこなんだろう?」という感想を持ちました。そして今まさに、二十数回に渡る連続講義において、「無礙解道論」の詳しい解説を通じて、傳修院で伝えられている瞑想法の正統性をはっきりと知ることができました。

禅師が数十年に渡って研究されて来た成果を、惜しげもなく私たちに伝法下さっている事を考えると、実に稀有な機会に遭遇しているのだということに気づかされ、本当にありがたいことだと感謝の気持ちが湧いてきます。

無礙解道の伝法に続き、午後1時から第一座が始まりました。リトリート初参加の方がいらっしゃったのでお話を伺ったところ、「家に居るときと違って落ち着いて瞑想しやすかったので、今度はもっと長く参加できたらいいです」という感想を頂きました。

これは本当にそうで、道場独特の静謐な雰囲気の中で長時間坐ると、やはり家出する時とは違った新たな気づきや発見がたくさんあると思います。「早朝から一日中瞑想はきついかも…」と躊躇して、まだ一度も参加されていない方は、泊まらずに日帰りという方法もありますので、まずは出来る範囲でトライしてみたらいかがでしょうか。

参学者Q

8/5ウポサタ傳修会、第53回原始仏教トーク「仏教があなたのためにできること」、初転法輪祭

本日は中央区新富区民館にて、ウポサタ傳修会、原始仏教トーク、初転法輪祭が開催されました。

まずは午前10時よりアビダンマ講座。今日の講義は二十四縁起の最後のふたつ、Vigatapaccayo(離去縁)とAvigatapaccayo(不離去縁)のスタンザの解説です。このふたつの縁起のPaccaya-dhamma(縁法)とPaccayu’ppanna-dhamma(縁所生法)はそれぞれ非有縁、有縁と同じとなりますが、実際の修行の現場では、識別する視点が異なるとのことでした。
本日で24縁起の各スタンザの解説が終わり、次週からいよいよ実践の修行に則した縁起の詳細な伝法に入るとのことで、まだ暗記してないスタンザを完全に頭に入れて、みなさんに置いていかれないようにしなくてはと思いました。

昼からは授戒と六随念の読誦、続いて原始仏教トーク「仏教があなたのためにできること」がおこなわれました。
禅師は先ず、近年の「心の安らぎを得るために瞑想をする」といった風潮や、仏教徒である以上、在家であっても世間的な成功や幸せな結婚をなんとなく求めにくい暗黙の傾向性をきびしく批判され、お釈迦さま在世当時の仏教はもっと力強いものだったと宣言されました。お釈迦様は多くのお経の中で、仏教を奉ずることによって今生における福寿禄官印の隆昌、死後の欲天界への再生、そして涅槃証悟という三つの福が得られると説かれており、私達在家の修行者が、いま自分が置かれている立場で成功すること(幸せな家庭、経済的な豊かさ、社会的な地位、健康長寿など)、死後、欲天界への再生を願うことは、Dhammaによって完全に是認されていること、むしろそれらを求めることは在家仏教修行の本道そのものである、と断言されました。そのためには力強い誓願を心に抱きつつ、布施行や奉仕行などの積徳行を貪欲に為して、福徳・波羅蜜を我が身に蓄積していくのが唯一の方法である、と説かれました。禅師はいつもにも増して我々に力強く説法され、言葉を超えた確信が心にダイレクトに入ってきました。

 

傳修院の道場が開山されて以来、我々にも様々な積徳の機会が与えられています。私もより積極的に道場の活動に参加し、清らかな心と強い誓願をもって貪欲に積徳に取り組んでいきたいと思います。

続いて初転法輪祭を記念する特別法要が親修されました。清らかな雰囲気の中、禅師から一人一人に修行順調を祈念したお札と初転法輪経の授与が行われました。

 

最後に質疑応答が行なわれました。

最初に、Mettā Suttaの「Sabbe satta bhavantu sukhitattā (一切の生きとし生けるものは平安であれ)」のPāḷi語の文法について質問がありました。

続いて、善行為を行おうとする度にその行為を妨害するような事態が発生する場合、それはUpapīlaka Kamma(妨害業)という過去の不善業によるものであり、何度妨害されたとしても諦めずにやり続けることが大切であること、決して不善業の妨害を「天からの霊示」と取り違えてはならないことなど、アドバイスをいただきました。また安般念を成就するためには、入出息という所縁に対して、どのくらいのコミットメントが必要かという点について、過去の偉大な偉人達を例に取りながら、分かりやすく解説されました。

今週末からはリトリートが開催され、私も参加する予定です。修行が順調に進むよう、法友のみなさんとともにしっかり取り組みたいと思います。

参学者C

 

 

第38回托鉢会

托鉢会に参加させていただきました。

連日の猛暑で、道場に向かう朝の道程から汗が噴き出す感じでしたが、参学者の方が用意されたブルーを基調としたお釈迦様への御供花を見て、とても涼やかな気分になりました。

 

 

 

 

本日の托鉢会に並んだ料理は

 

 

「アボカドとかまぼこのわさび和え」

 

 

 

 

「大根サラダ」

 

 

 

 

「鯖のキムチ煮」

 

 

 

 

「肉じゃが」

 

 

 

 

「ビーンズサラダ」

 

 

 

 

「豚肉のナスソース」

 

 

 

 

「浅漬け」

 

 

 

 

「キウイフルーツ」

 

 

「酵素玄米」

 

 

でした。

今回は冷蔵庫を活用されることで、托鉢会に参加できなかった方のお料理も並びました。

私自身は、普段、全く料理はしないので、週末に頭を悩ませることが多く、大した料理も持っていけません。

たまに実家に帰った時は、母親に托鉢会を説明して、良い積徳の機会として、彼女の料理を持って行ったりしていたのですが、冷蔵庫や冷凍庫を利用すれば、もっと提供できるかなと思いました。

参学者の方で、土曜日の托鉢会への参加が難しい方も、冷凍庫を利用することで、禅師へのお食事のお布施が成立するかもしれません。

メール等でご指示いただければ解凍や準備の作業は当日の参加者でできると思いますので、普段キッチンに立たれているご自身、またはご家族の良い積徳の機会として、料理が得意な方々のお布施が増えてくれば良いのかなと思いました。

明日は外部会場で原始仏教トーク&初転法輪祭なので、托鉢会の後、仏具や機材群をを取りまとめ、移動車に詰め込みました。

来週の托鉢会から夏季の長期リトリートが始まります。

蓮の花が、ちょうど二つ蕾をつけていますので、来週綺麗な花を咲かせてくれるのではないかと期待しています。

 

 

参学者L

 

 

第39回水曜瞑想会

本日は水曜瞑想会でした。仕事の関係で心が乱れており、30分の瞑想中、Akusala Vitakkaをスルーしきれなかったことが反省点でした。

瞑想後は無礙解道論の解説です。禁他見のため詳細は省きますが、四善修習の第五のポイントは、五根のバランスを過不足なく保ち、活性化によって諸根一味となし、近行定・安止定まで後押しする力を得、それを自在の境地に至るまで反復修習すること(善造作=善なる正しい精進)であると説かれました。

また、修行中のBhāvanāが成功したら、その証悟を省察し(Paccavekkhaṇa-ñāṇa)、その自在を得ることではじめて、次のステップに進んでいけることを知らなければならないと説かれました。
胎蔵法の発心・修行・菩提・涅槃の菩提⇒涅槃や、五分法身の戒・定・慧・解脱・解脱知見の解脱⇒解脱知見も、その理法を示していると解説されました。

最後に、再来週から第2回目の長期リトリートが始まりますが、できる限り参加して、朝から晩まで所縁を楽しみ、無礙解道を実践するよう強調されました。

善友に囲まれながら、ひたすら入出息の感覚に没頭できる長期リトリートは、かけがえのない修行の場です。禅師、善友、自身の健康等、どれが欠けても実現できないこの貴重な機会を大事に過ごしたいと思います。

参学者 S

7/29ウポサタ傳修会

本日はウポサタ傳修会に参加しました。
台風一過で晴れやかな空…とはならず、不安定な天気となりましたが、いつものように修行者の皆様が集いました。

参学者TIさんによる渾身の野菜達!圧巻です

まずはアビダンマ講座です。本日はNatthipaccayo(無有縁)に関してご開示いただきました。この縁起のPaccaya-dhamma(因法)とPaccayuppanna-dhamma(果法)はAnantarapaccayo(無間縁)やSamanantarapaccayo(等無間縁)と同様ですが、視点が違うとのこと。今回の無有縁はPaccayaが消滅することによりPaccayuppannaが生起するという点にスポットが当たっており、一方無間縁ではPaccayaの消滅とPaccayuppannaの生起の間にいかなるインターバルもないという点にスポットが当たっているとのことでした。
安易に似ているダンマだからとスルーするのではなく深掘りして真意を探ればまた多くの学びが得られるのだと感じました。

 

 

 

続いて修行報告に基づく瞑想指導です。
瞑想中あるいは瞑想後における「しばしの放心」の重要性を説かれました。コツとしては、①心が満足するまでやめないこと、しかし②粗雑な意識に戻る前にやめること、と語られました。
続いて歩きながらの瞑想についての注意点が述べらました。チャンカマとはひとつの「立っている姿勢」から別の「立っている姿勢」への移行に他ならず、「歩く」という連綿たる動作として捉えてはならない、とのこと。また身体を動かしている瞬間は、心が瞑想の所縁から外れやすいので、できる限りゆっくりとした動作で、細心の注意をもって所縁への専注を継続することが大切であると、実演を交えながらご指導下さいました。

 

 

さらに、利他行やSelfless Serviceの重要性についても語られ、「他者の福利のために奉仕する」という基本的な積徳の後押しなしに修行完成は不可能であると、いつもにもまして熱い口調で語られました。

私もご奉仕をただやっているだけではなく、修行としてしっかりと捉え、四正勤法に基づきより向上させていこうと決意しました。

参学者のみなさんにも積極的に呼び掛けて協力してやっていきたいと思いますのでよろしくお願いします!

参学者C

 

第38回水曜瞑想会

本日は水曜瞑想会でした。仕事の関係で少し遅刻してしまったため、できる限り音を立てないようにソッと入室して座りました。ソッと動くこと自体が、心を鎮めるのに役立つと感じます。

 

 

瞑想後は無礙解道・入出息論の伝法です。
本日はCatasso Su-Bhāvanā(四善修習)の中のParicitāti(遍熟)についての解説がありました。

禁他見のため詳細は省きますが、このダンマの概略は、「智慧をともない、研ぎ澄まされた鋭い切れ味の念をもって業處を我がものとなさんと希求し、誓願し、自らにその業處を確立する者は、その修行の完成を障礙する一切のものを克服する」のであり、また、
「智慧をともない、研ぎ澄まされた鋭い切れ味の念をもって、その業處に必要なすべての要素を求め、獲得し、備え、確立する者は、その修行の完成を障礙する一切のものを克服する」とのことでした。

たとえばĀnāpānaを修行する場合には、寝ても覚めても入出息に心を向け続け、「わが人生においてassasa, passasaだけが重要であり、あとはどうでもよい」という程の強い想いが確立していなければ、決して成就はしないということが強調されました。

 

 

 

 

解説の後は、高さを自在に調節できる新型座蒲の販売プロジェクトの打ち合わせに参加しました。少し座ってみたところ、長方形の形状と蕎麦殻の反発しない性質により、腰回りのホールド感・安定感が高いと感じました(25日現在、販売時期は未定ですが、乞うご期待!)。

 

 

参学者S

7/22ウポサタ傳修会

猛烈な暑さが続くなか、外出は止めて家で休んでいたいという誘惑を振り切って、瞑想会に出席しました。

 

今日のアビダンマ講座は、二十四縁起の終盤、21番目のAtthipaccayo(有縁)を学びました。
講義の開始前には、二十四縁起のスタンザの暗唱のテスト?があります。
私も当たりましたが、一応憶えていたので何とか唱えることができました。
(個人的には禅師がランダムに当てるのはスリルがあって楽しいです。)

 

Atthipaccayo(有縁)のスタンザは長文ですが、内容的には既に学んでいるSahajātāpaccayo(倶生縁)やPrejātāpaccayo(前生縁)と同じパターンなので、暗記はそれほど難しくないだろうと思いました。
しかしAtthipaccayoは範囲が広く、実際に記されているスタンザ以外にも条件の合致する多くの縁起がある、
Atthipaccayoには七種のサブカテゴリーに分類されるが、スタンザは三種のサブカテゴリーについて開示されているにすぎない、とのことで、
二十四縁起を学ぶ難しさを垣間見た気がしました。
(Atthipaccayoの関係性を持つ二つの現象を全て挙げよ、などと言われると、途端に話が大変になります。)
とりあえず今は、最低限だけでも覚えられれば、と思っています。

続く質疑応答の時間では、「威嚇と抑止力」についての話が非常に興味深かったです。

威嚇が威嚇となりうるのは、相手に対する圧倒的な抑止力を背景に持っている場合のみである、ということ。
しかし、私達が相手を威嚇したいと思うときは、たいていそれを裏付ける抑止力を持っていない ⇒ 単なる泥仕合となってしまう。
私達が実際に相手に対する抑止力を持っていれば、相手に対する慈悲の心が生起し、かわいそうで威嚇を行使できない。
よって実生活において、私達仏教徒が誰かを威嚇するという必要性はほとんど存在しない、とのことでした。

 

私も、家で長年小鳥を飼っているので、よく分かります。
彼らは非常に怖がりなので、何か悪い事をしたとしても、威嚇するなど私にはとてもできません。
個人的な体験に重ね合わせながら実感を持ってお話を聴けたので、修行の上で役立てることが出来そうだと思いました。

 

 

 

参学者KI

第一回メディテーションワークショップ

ふと我に帰って辺りの景色を見回すと、今自分がとても不思議な場所にいることに気づきました。その建物はまるで小舟のように池の上に浮いており、真夏の強い陽射しが水面を照らし、反射した光がひさしにゆらゆらとした波の模様を作り出しています。まるで建物がゆっくりと水の上を進んでいるようにも感じられます。窓のずっと向こうには、深い緑の木々と都会の高層ビル群が目に入ります。

ここは江東区の清澄庭園の中にある数寄屋造りの建物、「涼亭」。明治の終わりに建てられた歴史的な建造物です。

そんな由緒ある場所で、マハーカルナー禅師による、瞑想初心者のための第一回メディテーション・ワークショップが開かれました。昨今のトレンドとして、ビジネスマンの間で「マインドフルネス」という言葉が広く認知されたり、最近では悪天候のためタイの洞窟に閉じ込められた少年たちが、いつ来るともわからない救援隊を待ちながら、真っ暗で食料もない非常に過酷な環境の中で、ずっと瞑想をしていたということが、全世界に報道されたりもしました。

世は空前の瞑想ブーム。おそらく今日も、地球上で数多くの人たちが瞑想について学んでいると思われます。でも、今ここにいる私たちのように、こんなにも美しく厳粛な環境の中で、瞑想を修習している者はいないのではないか、そんな気がする場所でした。

傳修院では、小部経典の『無礙解道論』の記述に基づいて、出来得る限りお釈迦様在世当時に説かれた、アーナパーナサティと呼ばれる瞑想法が教えられています。しかし本日はアーナパーナサティ瞑想法そのものではなく、前行、後行、姿勢、心がまえなど、いわば瞑想「そのもの」以外の「エトセトラ」について詳しく語られました。

以前から何度か聞いている事柄もありましたが、こうしてまとめて体系的にお話し下さると、とても覚えやすく勉強になります。本日の講義内容は、ビデオで記録されましたので、いつか近い将来、一般の方々にも公開されるでしょう。これはアーナパーナサティを学ぶ人のみならず、いわゆるマインドフルネス瞑想やラベリング瞑想、また座禅や密教瞑想などを日々実践されている人達にとっても、非常に有益な内容であろうと思われます。乞うご期待!

今日の禅師のお話で、非常に強く印象に残ったものを二つご紹介します。
まず一つは、「Vajra Sāvaka(ヴァジュラ・サーヴァカ)」という言葉。
これは「金剛(ダイヤモンド)の弟子」のことで、不動、不壊、不退転の菩提心を持った弟子を意味します(密教でいうVajrasattva金剛薩埵と同義)。私たちはお釈迦様からもう既に2600年も隔たってしまっているけれども、「私はお釈迦様の直弟子なんだ」と強く思うこと、少なくともそういう心意気で修行することが、瞑想の上達のために非常に大切だということでした。

二つ目は、「入出息を自分の業処(集中の対象)としてしっかりと確立させること」。
もちろん仏教には入出息の他にも様々な業処がありますが、もしひとたび、入出息を「自分の業処」と定めたからには、目覚めている間は出来得る限り自らの入出息に対して意識を向けていることが肝要だということです。もう自分には「入出息しかない」、自分は「入出息を気づいていられれば何もいらない」と思えること。いつもいつも入出息という対象を自分の心から離さないこと。
仏教徒としてこういう喩えは適切かどうかわかりませんが、ちょうど恋愛において「〇〇さんが大好き!」と思ったとしても、「〇〇さんのことを思い出すのは三日に一度」だとしたら、「本当に好き」ということにはならないでしょう。それと同じことです。「入出息と恋に落ちる」こと、「寝ても覚めてもずっと入出息に心を向けていること」が必要なのですね。

本日のワークショップに参加して、思い出した長年の愛読書があります。
それは、森下典子さんの『日々是好日 ー「お茶」が教えくれた15のしあわせー 』(新潮文庫)という本です。これは著者が十代から四半世紀ほどの間、はじめは意味が全然分からず、むしろ苦痛だった茶道という習い事を、ずっと止めずに継続したことで、ある日突然(著者の言葉を借りると「定期預金の満期のように」)、世界の見え方感じ方がガラッと変わってしまったという体験が綴られています。少しだけ引用します。

「人には、どんなにわかろうとあがいたところで、その時がくるまで、わからないものがあるのだ。しかし、ある日、わかってしまえば、それを覆い隠すことなどできない」

この本を読むと、お釈迦様が示された涅槃証悟を目指す「瞑想」(特に瞑想そのものではなく、それにまつわるエトセトラ)と、世俗的な「お茶」という違いはあるけれども、広い意味でこの二つは東洋の深淵な文化的背景を共有しているのだなということが、よく理解できます。「まえがき」だけでも人生を変えるくらいの名文なので、是非。

 

 

参学者Q