4/1ウポサタ傳修会

初夏に近いような暖かさの中、朝電車で松戸にある傳修院に向かいました。車窓からは見頃は過ぎたとはいえ、まだまだ満開の桜があちこちで見られました。

ウポーサタ傳修会は、前後の90分の瞑想時間を挟んで、基本的に三部構成になっています。昼食後午後12時スタートの五戒・八戒の授戒およびチャンティング、午後1時からのメインであるアビダンマ講座(今回で218回目)、そして隔週での質疑応答(QA)、修行報告(CI)と続きます。

印象的なのは、禅師が部屋に入って来られると、瞬時にして心地よい緊張感に空間が満たされることです。そしてこれは最近気が付いたのですが、禅師が着座されると、必ずその日の参加者たちの顔を眺められ、慈愛に満ちた微笑みを全員に注がれます。これを見ていると、「ああ、今日も遠路はるばる来て良かったなあ」とつくづく思います。

チャンティングは全編パーリ語で唱えられ、およそ20分くらいかかります。初めの頃は、この未知の言語になかなか馴染めず、時間もかなり長く感じられましたが、今ではすっかり慣れて、お唱えしながらパーリ語独特の心地よい波動に、身も心もすっかり委ねられるようになりました。

何よりお釈迦様の時代から、数限りない修行者たちの口から、これと同じ音が発せられていたと思うと、何やら僭越ながら自分もその方々の末席に加えて頂けたような気がして、心地よい高揚感があります。もし次の人生においても、運良く再びブッダの教えに巡り合えるとすれば、きっとパーリ語の響きを懐かしく感じるかもしれないな、と考えたりもします。

アビダンマ講座はPaṭṭhānaの20回目、今回から新たにUpanissayapaccayo(親依止縁)の解説に入りました。まず初めに、前回まで勉強していたNissayapaccayoのstanzaの暗唱を三人の参学者の方々が披露され、その後Nissayapaccayoの簡潔なまとめがありました。二十四縁起の中には、このNissayapaccayoとUpanissayapaccayo、それにAnantarapaccayoとSamanantarapaccayoのように非常に似通ったpaccayoがいくつかあり、簡単な説明だけではその本当の違いがなかなか理解できません。Upanissayapaccayoは、Nissayapaccayoと比較すると、より大きく強力な依存関係に用いられ、将来より瞑想修行が進んで、十二縁起や過去生、未来生を詳細に見ていく場合には、その深い理解が必須であるとのことでした。
次に、配られたテキストのstanzaに、一行一行丁寧な解説が加えられました。日本語訳として添えられているのは、昭和初期に訳された南伝大蔵経のものなので、格調は高いのですが一読で理解することはなかなか困難です。しかし、こうして禅師に詳しい解説をしていただくと、やっとその深遠な内容の一端を垣間見れたような気になります。最初は全く歯が立たなかったstanzaを少しずつ読みこなしていき、そこに数式のようなある種の構造的な美しさを見出した時は、大きな喜びになります。今回のUpanissayapaccayoのstanzaの中には、善法、不善法、無記法の三つの要素の組み合わせの強力な依存関係が、余すところなく配置されています。この詳しい内容の解説は、次週以降ということでした。


短い休憩をはさんで、今週はダンマに関する質疑応答が行われました。その内訳は、日常生活の悩みから経典の解説、仏教の基本的な教えの再確認、修行法の細かい注意点、アビダンマ講座で生じた疑問点の解消など多岐に渡り、毎回とてもためになります。何よりこうやって勉強や修行をして生じた疑問を、ほぼ時間を置かずに的確に答えて頂けるという得難い環境に今自分がいるということは、まさに僥倖としか言いようがありません。この福徳を無駄にしないように、これからも日々精進していけたらと思います。今回の質疑応答も、Dāna(布施)に関する詳しい説明、瞑想において「ラベリングすること」と「さらりさらりと流すこと」の相違点など、大変興味深い内容が語られました。

参学者Q

第20回托鉢会

春の陽気の中、今日は托鉢会に参加しました。

 

 

 

 

 

 

 

参学者の方々が持ち寄った料理の数々を紹介します

 

 

 

 

 

 

 

本日の汁物は「野菜たっぷりクラムチャウダー」でした。参学者の方が道場で当日調理されたものです。

 

 

 

 

 

 

 

こちらは「アボカドとおからのサラダ」です。道場で和えて仕上げた模様です。春らしいですね!

 

 

 

 

 

 

 

こちらは「桜海老と三つ葉の卵茶巾」料理をあまり知らない私には初耳の料理ですが、見た目・味とも素晴らしかったです!

 

 

 

 

 

 

 

こちらは某コンビニで購入した「明太サラダ」です。安定のクオリティでした。

 

 

 

 

 

 

 

そして、なんと参学者手作りの草餅(ヨモギ餅)です。なんとアンコから!仕込み作られたそうです。

今回もみなさんの多彩なアイデアと腕によりかけた料理の数々で大変素晴らしい托鉢会にとなりました。

参学者の方々の素敵な一品をお待ちしております!

参学者C

 

 

第20回水曜瞑想会

満開の桜を見ていると「春がやってきたんだなあ」としみじみと感じます。水曜瞑想会で坐っている瞑想室も、つい先日までは寒くて仕方なかったのが今日は上着を脱ぐほど温かいです。春ですね。

最初は30分の瞑想です。瞑想を始めると、初心者の私の心はいつもすぐにさまよい始め、そして何か楽しい物語を語りだします。しばらくその物語を見ていて、そのうちハッと気がついて意識は呼吸に戻りますが、しばらくするとまた何かの物語のなかに知らずに入ってしまい、また気づいて鼻先に意識を戻し…と、こうした格闘を繰り返しながら瞑想(?) の時間は終わりました。

「いやー相変わらず妄想の海を漂っているような瞑想(迷走)だったなー」などと考えているところに、今日の法話は五蓋(八蓋)をどう抑制するか、という(私にとって)非常にタイムリーな内容でした。
以下、非常に拙いながらまとめてみます。

アナパナサティを成就するためには五蓋を抑制することが必要です。しかし、坐って瞑想に入ってから、心に生起するKāmacchanda(欲貪)やByāpāda(瞋)を抑えようとして、いわゆるカウンターダンマ(Nekkhammaや Abyāpāda)を喚起させようとしても、すでに心に生起したNīvaraṇa(蓋)を追い出すことはできないでしょう。ではどうしたらよいのか?

最初に各カウンターダンマを心に確立させ、相応するNīvaraṇaが心に侵入してこないようにガードすればよいのです。たとえばKāmacchanda(欲貪)とByāpāda(瞋)に対しては、Nekkhamma(離貪)とAbyāpāda(無瞋=Mettā)でガードする。NekkhammaとAbyāpādaを、瞑想に入る前、坐る前に心に強く確立させることによって、Kāmacchanda(欲貪)やByāpāda(瞋)の生起を抑制するのです。
(ちなみに離貪+無瞋は、ほぼSammā-saṅkappaの心の状態になります。)

以下、八つのNīvaraṇaとそのカウンターダンマの対応は以下の通りです。

①Kāmacchanda(欲貪)

⇔Nekkhamma(離貪)

②Byāpāda(瞋)         ⇔ Abyāpāda(無瞋=Mettā)

③Thīna-middha(昏沈・睡眠)  ⇔ Ālokasaññā(光明想)

④Uddhacca(掉挙)       ⇔ Avikkhepa(無散乱)

⑤Vicikicchā(疑)        ⇔ Dhamma-vavatthāna(法決定)

⑥Avijjā(無明)         ⇔ Ñāṇa(智)

⑦Arati(不欣喜)         ⇔ Pāmojja(勝喜)

⑧Sabbe Akusala Dhamma(一切不善法)

⇔ Sabbe Kusala Dhamma(一切善法)

これらのカウンターダンマをあらかじめ心に確立することによって、Nīvaraṇaを心に入り込ませないようにするわけです。それを成功させるためには各カウンターダンマを日夜随念していくことが必要になります。これは、瞑想の前行の範疇をこえていますが、日々、心がこの状態になるよう努力していきましょう。

短いながら非常に濃縮された密度の濃い法話でした。お話しくださった禅師に感謝いたします。傳修院TVにアップされましたら是非ご覧ください。私も少しでも良い瞑想ができるよう努力したいと思います。

参学者SA

第2回傳修院リトリート&3/25ウポサタ傳修会

3月24日から25日にかけて、第2回目の傳修院公式リトリートが行われました。

<リトリート前には托鉢会が開催されました>

リトリート開始の際、禅師から瞑想指導があり、前行ではaspirationを高めること、後行では①余韻を満足するまで楽しみ、②五蓋、aspiration、感受と観察のバランス等をreviewすることが大事だと説かれました。

25日はウポーサタ傳修会です。アビダンマ講座では、依止縁・倶生縁・相互縁の相互関係を整理されました。

修行報告に基づく瞑想指導では、①瞑想には色々なコツがあるが、「結局は何があっても”assasa, passasa”の意識を持てばよい」ことを、②仕事が終わるまでダンマから逸れていると悩む修行者に対しては、「逸れたと気づいたときに戻せばよい」ことを、③介護等で厳しい環境に置かれた修行者に対しては、消化すべきカンマとして、「ダンマに則った最善の対応をする」ことを、④他人が気になると悩む修行者に対しては、「いつでもどこでも呼吸を我が家と感じられるようになるまで修行すべき」ことを、⑤傳修院のイベントに参加するより自習していた方がよいのではないかと迷う修行者に対しては、禅師にとって「弟子の顔を見られることが何より嬉しく、事前に相談してほしい」ことを説かれました。

21時まで瞑想をしてリトリートは終了です。1日8時間の善友との瞑想と禅師の個人インタビューのおかげで、一人ではなし得ない濃密な修行が行えました。今後もリトリートの機会がございますので、是非ご参加下さい。

参学者 S

第1回原始仏教セミナー「素顔のままで」

本日は記念すべき第1回目!原始仏教セミナーが開催されました。

生憎の雨と寒い中ではありましたが、はじめて傳修院のイベントに参加される方もたくさんお見えになりました。

禅師が参加者の方々に語りかけることから始まります。瞑想に興味がある方が多く見られたため、まず何から始めればいいかを語られました。

「瞑想は心のコントロールから始まる」

心をしっかりコントロールし、対象に向かわせることが瞑想の基盤であり重要であるとのこと。もし関係ない思考が、湧いてきたらそれが何であれさらりさらりと流す。具体的実践方法としては鼻先を出入りする呼吸の感触に意識を向け、思考が浮かんできたらそれを払うというもの。この練習は瞑想の基礎となるだけでなく、様々な目標を雑念に振り回されず達成する力も養われる効用があるとも語られました。この練習をしっかりすることは瞑想を高度な段階に進めていくことに必須だと断言されました。長年仏教や瞑想を学んできている人にも実にクリティカルな内容ではないでしょうか。

途中禅師からお菓子、参学者お手製のチャイが配られ、和やかな雰囲気の中セミナーは進んでいきます。

「素顔のままのあなたで」

日々生活していく中で、着飾ることはありそれ自体は悪いことではありません。しかし、そのイメージに執着することは苦しみを生み、嘘をついてしまうことにも繋がります。楽に生きるには作り上げたセルフイメージを手放すことが大事である。以上が「素顔のままで」の意味するところでした。思わず着飾ってしまわぬよう注意したいものです。

質疑応答を交えながら、セミナーは進んでいきました。瞑想について、日常における怒りの対処についてなどみなさん自由闊達に質問され大いに盛り上がりました。

瞑想、仏教に興味を持ち始めた方にオススメのセミナーなのはもちろんです。しかしここで語られる内容はシンプルかつ重要であるため、普段瞑想会によく参加されている方であっても新たな気づき、理解が得られる素晴らしいセミナーだと思います。次回も楽しみにしています。

参学者C

第19回水曜瞑想会

今日は雨で寒さにもかかわらずいつもどおり参学者が集まりました。

昼の原始仏教セミナーでは私たちの制御し難い心をいかにして調教するかといった内容でした。

それらを踏まえたうえで、普段私達はどのような見方で現象を見ていくかといったことが語られました。

私達は日常では現象は常住であるかのように捉えており、そのようなに見てしまう癖がついています。

しかしそうではなく現象を瞬間的に生起消滅するものとして観る。例えそのように観る観知を得ていなくても、普段行う歩行瞑想や呼吸瞑想の際にそのことを随念することによって、いままでより一層瞑想が鮮明になってくることでしょう。

アビダンマの知識がついてくるにつれ、だんだんと話の内容が分かるようになってきます。

瞑想は辛抱のいることですが、これからも精進していきたいと思います。

参学者K

3/18ウポサタ傳修会

瞑想には大敵の花粉症の季節真っ只中ですが、週に一度の大切な瞑想会。
昨日から少し気温が低いせいか、症状が治まったまま参加できるのは幸いなことです。

 

今日のアビダンマの講義は、二十四縁起の8番目、Nissayapaccayo(依止縁)についてでした。

最初は恒例の暗記の披露からスタート。最近は必ず何人かの方が手を挙げます。
皆スラスラと、まるで長年慣れ親しんだ詩のように暗唱していきます。
自分はまだゆっくり唱えることしかできませんが、重い腰を上げていざ取り掛かってみると、似たようなフレーズが何度も出てきて意外と覚えやすい、というのが正直な印象です。これからは内容の理解をもっと深めていければと思います。

講義はまず、Nissayaの日本語訳である「依止(えじ)」という言葉の説明から始まりました。
「依止」とは「依託止住」の略だそうです。「依託止住」とは「依存して全てを託してそこに止まり住する」ということで、つぶさには、① あるものが生起するときの拠り所 ② 三帰依のSaraṇa ③ Cittaの生起の基であるKāya ④ Nissaya修行 という四つの意味があるとのことでした。
NissayapaccayoのNissayaの場合は①の意で、ある現象が他の現象の生起を支えるような縁起関係を意味します。

NissayapaccayoのStanzaの前半を見て、なんか見覚えがあるなと思ったら、Sahajātapaccayoや、Aññāmaññāpaccayoと同じパターンでした。二十四縁起では、たとえばSahajātaであり、同時にAññāmaññāであり、同時にNissayaであるというように、現象と現象との関係を複数の縁起で観ていくのが特徴のひとつであるというお話でした。
今日の講義で、Pasādaの役割や、PasādaとCitta/Cetasikaの関係がだいぶクリアになりました。
ただし最後のStanzaは暗記に少し苦労しそうです。

休憩をはさんでダンマに関する質疑応答が行われました。
最初は修行における暗記に関するお話でした。
まずダンマを暗記し、その内容を理解し、さらに随念して自分の心に刻み込む、
そうすれば、本やテキストから解放され、もはや誰も取り去ることができない自分自身のダンマとなる、
そして内外に生起する現象をそのダンマに当てはめながら観ることによって、自分自身の体験としてダンマを深く理解していく、
その時、心は素晴らしい法悦に席巻される、
たとえダンマパダの一行であったとしても、そのダンマを自分自身のものにすれば、
何百冊の仏教書にも優る「法悦」をもたらしてくれる、とのことでした。
暗記は法悦に至る道である! いつものように私の心は鷲掴みにされました。

今日の最後は、Saddhāをベースにして輪廻を厭うというお話でした。私にとっては目から鱗で、凡夫たる自分はどうしても「私」の視点から輪廻を考えてしまうのでとても参考になりました。

体調を崩していたOさんも久々に参加され、実り多き一日となりました。
講義が終わった後で、一杯のお茶を飲みながら法友と語り合うひとときは、時間に追われる日常の中での貴重な一服の清涼剤となっています。
心ゆくまでダンマを味わって、リフレッシュした心で新しい一週間を始められる、これもまた瞑想会のおかげです。
禅師、傳修院の皆さま、ほんとうにありがとうございました。
水曜のセミナーも楽しみです。

参学者N

第18回托鉢会

托鉢会に参加しました。

この会は比丘に食事をお布施出来る貴重な機会であると同時に、修行者として食事とどう向き合っていくべきなのか深く随念する機会でもあります。

食に対する渇愛というのは根が深い問題であり、ブッダは「体の維持に必要な量だけ食べよ。」と様々なお経で口酸っぱく説かれています。

実際必要な量に注意して食べているとある時点で「体としては十分だがもっと食を楽しみたい!」という欲望があることに気づきます。

この欲の意のままになると修行者として根絶すべき煩悩を増大させることになるだけでなく、消化に負担がかかり健康にも良くないのは明らかです。

今回も心のこもった食の渇愛には危険な(笑)美味しそうなメニューが並びました。フキのとう、菜花を使用した春らしいメニューも見られます。

四資具の食に対する随念、食厭想のお唱え言をして食に対する渇愛を抑制した後に静かに食事をいただきました。

普段もそうですが、特に道場で食事する際は渇愛で食べないよう十分注意していきたいです。

参学者C