1月28日日曜傳修会

気温、2度。凍てつくような寒さと曇った空。
前日、何故かなかなか寝付けなかった私は起床を少し遅くしたため,いつもの90分瞑想は途中からの参加。既に数名の参学者が瞑想されていました。

この寒さのせいか、隣家の屋根にはまだ先週降った雪が残っています。
アビダンマ講座が始まる頃にはいつも通り満席状態。参学者全員のアスピレーションが伝わってきます。

アビダンマは引き続き二十四縁起の中伝、Anantara-paccayoの三回目。前回同様、既に暗記し終わっている参学者がスラスラ唱える様を見て暗記が遅れている自分は少しずつでもいいからコツコツやらなければと、これは参学者たる者の義務であると改めて決意しました。

まとめのdiagramはここでしか学べない得がたきものです。一つ一つの項目は各stanzaに相応していて、⇛に込められた意味・内容の深さに感じ入りました。
まだvīthi の途中を学んでいる自分にとってはレベルが高く付いていけない事も多いですが少しずつ理解を深めていきたいです。

続いて休憩を挟み修行報告の時間。
中でも特にスポーツや食事、健康のについての法話が印象深かったです。
「No games, just sports」というフレーズを聞いて、自分が長年持病の治療と予防を兼ねてひたすら続けてきたジョギングや筋トレ、数年前から取り入れた体幹トレーニングなどは間違ってなかった、と安心しました。持病への対策が結果として仏教修行の準備になっていたのかな、と何だか救われた気持ちになりました。

食事については、修行するようになって酒、煙草を止めてからつい甘いものに手を伸ばしがちにがちになっていたので、対象が変わっただけでRasa-taṇhāはそのままだから気を付けないと、とコントロールの必要性を感じました。

最後に睡眠については、タイムリーというかここ数日、睡眠とAkusala(特にDosa)、睡眠と瞑想の関係について考えて、試していたところだったので、やはりもう少し増やして7時間、それも質の良い7時間の睡眠が理想かな、と思いました。

他にも1日1随念など貴重な法話を拝聴でき、またまた今回も得るもの多き1日となり明日からのエネルギーもしっかりチャージして帰途につきました。
ありがとうございました。

参学者N

第11回托鉢会

托鉢会に参加させていただきました。

托鉢会の簡単な流れを書きますと、いつも厨房で汁物などを料理されているIさんは早くから来られているようですが、10時過ぎに食材を持ち寄り、部屋の掃除、テーブル出し、食器出し、盛り付けを行います。

11時頃に準備が整いますので、禅師をお呼びし、お釈迦様に三拝したのちに、テーブルに触れながら回向し、禅師とお食事をいただきます。

以前は、日曜瞑想会の際に昼食を御布施できることもあまり知られておりませんでしたが、千駄堀道場の開山に伴い、毎週禅師にお食事を御布施でき、なおかつご一緒に食事させていただけるというのは大変有り難く感じております。

本日の托鉢会は野菜中心の料理となりました。前回、菜食の方がいらしたので、今回は切り干し大根を作りましたが、おかずが、きんぴらごぼう、大豆の昆布煮、おからと、日本の代表的な料理が揃い踏みでした。Iさんの豆のトマト煮がとっても美味しかったです。

午後にはRさんが作られたロゴの入った家賃サポートの賽銭箱が完成し、設置しましたので、早速御布施させていただきました。

また、修行者の方より宅配で、たくさんのパンヤとそば殻や、レトルトのお粥などの御布施が届き、段々と道場が充実していくことを実感させていただきました。

参学者B

第11回水曜瞑想会

毎週水曜日は20時から30分間の瞑想会とミニ法話が行われています。

静謐な環境で、saddhāに溢れる禅師や善友と共に瞑想をしていますと、姿勢を正し、心を清らかにし、呼吸に集中しようと意識が高まります。

法話のテーマは、jarā(老い)です。
第2回目となる今回のポイントは以下の3点です。

①Nāmarūpa-sota
人生を今生(誕生から死まで)に区切って捉えるならば、過去は増えて未来は減るため、過去に執着して縛られ、未来には余裕も希望もなくなる。

他方、無始の過去から連綿と流れるナーマルーパ(Nāmarūpa-sota)が現実であると知り、saddhāがある真摯な修行者にとっては、生死は境涯の調整(adjustment)に過ぎず、涅槃証悟はいつか必ず実現すると知っているため、死ぬ瞬間まで、明るくワクワクと生きられる。

②Past is dust
人生を今生(誕生から死まで)に区切って捉える人にとって、生存は過去そのものであるから、過去に執着してしまう。

他方、無始の過去から連綿と流れるナーマルーパ(Nāmarūpa-sota)として捉えた場合、延々続く過去は執着しようがない屑であって(past is dust)、未来は生死を超越した涅槃証悟への一本道であり、光と希望に満ちた人生となる。

③Newness
人生を今生(誕生から死まで)に区切って捉える人は、自我があるという謬見によってself-imageに縛られ、新しいことを受け入れられない。

他方、無始の過去から連綿と流れるナーマルーパ(Nāmarūpa-sota)として捉えた場合、新しい技術、創造性、ダンマに直面したとき、心は子供のように柔らかく、スポンジのようにnewnessを吸収し、死ぬ瞬間までnewnessにワクワクしながら生きていける。

このように、誕生から死で区切らずに、Nāmarūpa-sotaというストーリーのワンシーンとして捉えること。これが、人生を先に行けば行くほど、ワクワクしながら生きていくコツであることが示されました。

禅師の目は、好奇心に満ちた子供のようにキラキラ楽しそうに輝いていらっしゃいました。動画がアップロードされたときは是非ご覧下さい。

参学者 S

1月21日 日曜傳修会

本日、1月21日、日曜日、晴天に恵まれ傳修会が開催されました。

新しく参学される方も何名かお見えになり、今日はいつもより沢山の参学者が来られていたようです。

清々しい澄んだ空気の中、御宝前の御釈迦様に礼拝させて頂き、アビダンマ講義の前の一座、沢山の法友と共に行う瞑想は殊の外、穏やかに行える気がし、改めて志を同じくする法友の大切さが感じられる一座となりました。

そして、お昼休みを挟んでの禅師によるアビダンマ講義です。

二十四縁起(中伝)の講義も早、10回目となります。
禅師による講義を受講する度に縁起の深遠さ繊細さを思い知らされ毎回、真摯に学ばなければいけないと感じます。

今まで学んで来た内容を記憶の引き出しからフル動員し、尚且つ事前の復習もしなければ追いつかないのも事実ですが、繰り返し繰り返し、暗記し学んでいくことで一つ一つのアビダンマの知識が、多面的に、また点が線になって繋がって、身に付いていくのが頭の鈍い私にも感じられてきました。

修行と教学を共に出来る、法友の方々の存在も、継続していくための大きな力となっています。

傳修院が開かれて約3か月が経ちますが、御釈迦様を身近に感じ、五感で仏教を修行し、学べる環境が整って来ていて、本当に有難く感謝致します.

参学者 H・Y

 

第10回托鉢会

今日は托鉢会でした。

今日は料理長的な役割を担ってるIさんが不在でしたが、皆さんが持ってきた手料理やお店で買ったお惣菜が沢山並び非常に豪華な食事となりました!

私も傳修院のキッチンで煮物を作らせて頂きました。

Q夫人が作った鳥胸肉のハムが大変美味しゅうございました。作り方も教えて頂き、今度チャレンジしてみようと思います。

今日は傳修院に宿泊するのが私を含めて三人居ますが、2人とも外出したため1人寂しくブログの文章を練っているところです(涙)

寂しいときこそ1人で瞑想して自分の心と向き合うのがいいですね。瞑想してきます。。。

参学者T

第10回水曜瞑想会


本日は、仕事が早く終わったので、2週間ぶりに水曜瞑想会に出席させていただきました。本日の瞑想会は、新規参学者1名を含む8名の参学者が、禅師とともに瞑想を行いました。やはり、一人で瞑想をするのとは違い、瞑想終了後はとても気持ちが落ち着きました。


続きまして、「老い」について、修行者としてどのような心構えで接すれば良いのかお話しいただきました。「老い」とは、決して逃れることのできない「行苦」ではありますが、日々それを意識することはなく、ある日突然それに気付き、愕然とするのが常ではないでしょうか。そして、悟りに至らぬ凡夫である私たちは、ともすれば世間的な「老い」の常識にとらわれ、必要以上に「老い」を意識し過ぎて意欲が減衰し、生きる目標自体も矮小化し、挙げ句の果ては、「老い」に対する怒りや、「若さ」に対する嫉妬などの不善な感情を生起させてしまいがちです。これでは、いつまでたっても涅槃証悟はできません。従って、逃れることのできない「老い」という苦ではあるけれども、それは一つの現象であるという認識を強く持ち、その現象に執着することなく、「解脱」という唯一の目標を達成するために、ひたむきに努力する必要があるということを学びました。そろそろ、世間的な「老い」ということを意識しだす年齢の私にとっては、非常にためになる法話でした。


このように、水曜瞑想会の時の法話は、時間的に短いですが、修行に役立つ重要なものばかりです。皆さんも、都合がつきましたら、ぜひお越しください。

参学者Y

セルフリトリートレポート&日曜傳修会

土曜日から、自身の半日リトリートの為、道場に参禅させていただきました。

お釈迦様を目の前にして厳粛な瞑想室にて座らせていただくと、このような場を立ち上げ、また、維持するために日々奮闘されている、禅師や法友の方々の献身的なサポートに対して感謝の想いが溢れてきて、胸が熱くなります。

午後6時から7時30分までのChanting +
瞑想は、道場にいる全ての方が参加され、大きな一体感を感じ、普段の自分一人だけの修行では絶対に感じることのできない菩提心が沸き上がってきました。

ただの在家修行者であるのに、週末に気軽に参加して、瞑想修業をし、法友と語らい、aspirationを高めあえる場所があるというのは、本当に身に余る幸福です。

土曜日は道場に宿泊させていただき、そのまま、②日曜瞑想会に参加させていただきました。

今週は二十四縁起の4つ目のAnantara-paccayoの初解説でした。

二十四縁起の講義を聞かせて頂いて毎回感じるのは、これまで学んできたcitta cetasikaなどのParamatta
dhammaが、動的な臨場感を持って感じられるということです。

例えるなら、今まで文字で学んでいたものを、アニメーションで実際の動きを見るような感動があります。

また、今回はniddeso(詳説)のスタンザを暗記することが宿題として課されました。
まず暗記し、その後、そのスタンザを唱えながら、今までのアビダンマの知識をもとに、Paramatta
dhammaがスラスラと頭に浮かぶようになれば、観行に本当に役立つ知識になるとのことでした。

そのような瞑想指導とリンクした教学を同時に受けられる現在の環境に改めて感謝するとともに、いつか禅定を証悟して、傳授していただいたParamatta
dhammaを、瞑想にて自分自身で確認したいという想いが強く沸いてきました。

CI(瞑想指導)のパートでは、「本当に、貴方は修行者として、本気で禅定(心清浄)を達成しようとしているのか?」について、強く問いかけられる内容でした。

外部から入ってくる、または自分の内部から湧き上がってくるAkusalaに対して、本当に自分の心を清らかに保とうと懸命に努力しているのか?

– どんな宗教にもある二つの道(EsotericとExoteric)の違い
– vajira sāvaka(お釈迦様の直弟子)であるという自分自身に対する強いaffirmation(断言、宣誓)による誇りと尊厳によるAkusala排除への熱い想い

内容については、近日アップされる先週の水曜日の法話の傳修院TVをぜひご覧ください。

自分自身にとっては、約3年ほど修行を続けているが、一体どれほど本気なのか?、もう一度真剣に問いかけなくてはならないと感じました。

年単位での考え方や嗜好性の変化などの牛歩のような小さな進歩は感じているものの、本当に自分は心の底から心清浄や禅定を達成しようと思っているのか?
ただの口先だけの絵空事ではないのか?

今回の瞑想指導の録音を何度も聞いて、改めて自分に問い直したいと思いました。

参学者TN

第9回托鉢会

本日は托鉢会に参加しました。

家で調理したり、道場で調理したり、(調理器具充実しています!)、お店で出来合いのものを買って来るなどして今回も参学者による素晴らしいメニューが揃いました。

 


  1. 禅師にお布施された食事は美味しさもさるこもながら、見た目もインスタ映えしそうな美しさがあります!


修行成就を願い、このお布施の功徳を生きとし生けるものに回向致しました。何度しても清浄で素晴らしい瞬間です。


食事の後は禅師と参学者たちとの和やかな会話が行われることが多いです。托鉢会のあとはゆっくり時間が流れるのが特徴で、瞑想はもちろん禅師や参学者たちと交流を深めたりと素晴らしい時間を過ごすことが出来ます。短時間で濃密な水曜瞑想会、イベント盛り沢山の日曜瞑想会とは違った趣がありますので土曜に時間をお作りいただいて気軽にご参加下さい!

参学者C