第32回托鉢会

今日の托鉢会はたくさんの料理が並びました。

焼きなすとトマトのジュレ仕立て

春雨のオイスターソース炒め

ピーマンの肉詰め

おでん

ポテトサラダ

ごぼうサラダ

卵焼き

お漬物

ライチ

この頃、禅師ご自身がご用意してくださる酵素玄米は、申し訳ないと思いながらも、定番になりつつあります。。

今回はたくさんの料理があったので一つの鉢に入りきらないほどでした。

菜園の方は、3本目のキュウリができたとのことでした。
(2本目のキュウリはカラスさんがご試食されたとのことです。。)

今週は久しぶりにリトリートでもなく、当日や翌日に外部会場へ出向くこともない通常の托鉢会でした。

ただ、托鉢会終了後の第一、第二瞑想室では、沢山の参学者が自主的に瞑想する姿が見受けられ、さながらリトリートのようでした。

リトリートであってもなくても関係なく、多くの方が瞑想されているのは、アスピレーションをとても刺激されます。

さて、来週の土日は短期リトリートが開催されます。

ゴールデンウィークの長期リトリートに比べて、短期リトリートの参加者はやや少ないように感じますので、お時間の許す方は、ぜひご参加ください。

また今までリトリートに参加されたことがない方でも、短期のリトリートは気軽に参加できるものだと思います。

禅師に個人インタビューもしていただけますので、普段のコレクティブインタビューでの紙提出ベースでのご指導とは違い、短期集中で瞑想をした後、双方向のコミュニケーションで深いご指導をしていただけますので、是非ご体験いただければと思います。

参学者L

第32回水曜瞑想会

水曜瞑想会は、夜の時間帯であるのにかかわらず、10名もの方が参加されていて驚いた。法話では、阿羅漢ウパティッサ長老の著した『解脱道論』、また前回参加されなかった方に『無礙解道』の「鋸歯の譬え/満月の譬え」の原文のテキストが配布された。水曜の夜の短時間の会だからといって、決しておまけ的な内容ではなく、本格かつ厳格なるĀnāpāna Satiの伝法であった。

法話の内容は「Ānāpāna Satiにおける禅相(Nimitta)とは何か?」この内容について数回にわたって講義し、究明するとのこと。個人的には「ニミッタ=Ānāpāna Satiが深まっていけば出てくる光」くらいの認識だった。
しかし『解脱道論』にĀnāpāna SatiのNimittaの定義が書いてあり、それは上記の認識とは違っていた。個人的には、Ānāpāna SatiのNimittaは口伝で伝えられていくもので、こうした論書に定義は述べられていないと思い込んでいたので、修道論である『解脱道論』に定義が書いてあるということを知って嬉しかった。

しかしこのNimittaの定義が一体、何を意味するのか。定義を知り、スタートラインに立ったということで、今後もより深く禅師の法話を拝聴し、Nimittaに関しての認識を深めていきたいと思った。

禅師の言葉で、
「Saddhā(信)は、善行を積み重ねることで徐々に育っていく」
「表面的、世俗的には不幸に思えるようなことでも、波羅蜜の力によって、結果的に涅槃証悟へプラスになることがある」というものが印象に残っている。個人的には「小さいことでも徐々に積み重ねて、心を育てていくしかないのかな」とも思う。
また、自分が意図していなくとも、修行道のほうへひっぱられる力みたいなものを感じるときがある。

Nekkhammaの手放しで淡々と善行をなし、波羅蜜を積み、また波羅蜜にひっぱられて、善行を積んでいく……というようなこともあるのであろうか。

非力な私だが、今後も精進を重ねていきたい。

 

 

 

参学者 玄沙

6/10ウポサタ瞑想会

本日のアビダンマ講義はVipākapaccayo(異熟縁)がテーマでした。この縁起はKamma(業)については触れず、あくまでVipāka Citta(異熟心)と随起するCetasika(心所)間の関係にのみ言及されているため、非常に短いスタンザであることが印象的でした。
その分、場面ごとの異熟心・心所の数の検討に時間が割かれ、過去のアビダンマ講義を聴いていないと難しい内容でしたが、「急いで過去のアビダンマ講義を聴かなければ」と切迫感が湧きました。

修行報告に基づく瞑想指導では、①目標とする瞑想時間のセイフティネットは二重に設定すること。通常は一日あたりの瞑想時間を設定して修行していき、一週間の総瞑想時間を第一のセイフティネット、病気や出張など不測の事態の場合は、一ヶ月の総瞑想時間を第二のセイフティネットとして設定し、不足分はリトリートなどを利用して目標を達成するようにすること、②修行において必要なのはAspiration(菩提心)とAdhiṭṭhāna(誓願)であって、Akusala Vitakka(不善思考)は一切必要なく、排除すべきであること、③いつまでも禅師からダンマを説いてもらえると思ってはならない、これが最後と思ってSaṁvega(切迫感)をもって学ぶこと、④Ānāpānasatiの所縁はPhoṭṭhabbaの感覚であるから、それを念珠の中糸とすること。感受と認識のコツがつかめたら、それを修行日誌に記し、つまづく度に読み返すようにすること、⑤Ānāpānasati修行の最大の難関は、その禅相について諸説が入り乱れていること。今後の水曜瞑想会とリトリートにおける無礙解道の講義で、それを明確に解説していくので是非参加してほしい、と説かれました。

現在、よく知られている修行マニュアルとして小部経典のPaṭisambhidāmagga(無礙解道 B.C.3)、セイロン分別説部無畏山派の手によるVimuttimagga(解脱道論A.C.1)、セイロン分別説部大寺派の手によるVisuddhimagga(清浄道論 A.C.5)がありますが、解脱道論以降は、主たるSamatha瞑想法がĀnāpānasatiからKasiṇa瞑想に変わり、さらに清浄道論ではĀnāpānasatiの禅相について、無礙解道に開示されている原始仏教のそれとはまったく違う見解が示されるに至りました。


つまりĀnāpānasatiの禅相についての混乱は、清浄道論に端を発しているとのことです。昨日のリトリートの講義では、大本の文章である無礙解道の「鋸歯の喩え」と「満月の喩え」が配布されました。清浄道論において、そこからどのように誤解が発生したのか、今後の講義で明らかに示されていくとのことです。次の講義が待ち遠しいです。

参学者S

第31回托鉢会&リトリート伝法

本日は托鉢会に参加しました。

中華料理風のメニューが並びました。参学者の方々がお持ちになる料理はどれも大変美味しいです!

 

<ナス、ピーマン、挽肉の炒め物〜道場のパクチーを添えて>

 

<ミックスビーンズのサラダ>

 

<麻婆豆腐>

 

<アボカドの辛味噌和え>

 

<かぼちゃの冷やしレモン煮>

 

<ヴェーサカ祭りでお布施されたメロン>

続いて週末のリトリートが受戒そして伝法から始まりました。

今回から無礙解道論に記されたアナパナサティの禅相(ニミッタ)についての解説が始まりました。

解脱道論、清浄道論の記述とも比較しながら解説されるおそらく世界初!の講義です。

本日は「満月の譬え」の解説でした。

経典にいくつか見られる「雲を離れた満月のようにこの世を照らす」は個人的に好きな表現です。今回瞑想に関する話に登場して、非常な驚きと感動を覚えました。これからの講義も楽しみです。

その後はリトリートに突入しました。今回もアスピレーション溢れる参学者の力をお借りして精進したいと思います。

参学者C

第31回水曜瞑想会

ここ数ヶ月間、私の職場はさながら戦場の有様でした。連日の残業や休日出勤のため、水曜瞑想会もしばらくご無沙汰でしたが今日はなんとか参加できました!

瞑想が始まる前、傳修院の一階でご飯を食べていると、参学許可がおりて今日はじめて来山したという参学者の方がおいでになりました。 私を除いて傳修院に来る人はすごい人が多いなあと、いつも内心思っているのですが、この方も道を求め、ダンマを求めてここにいらっしゃった有徳の方に違いありません! すごいです!

さて、8時になり、傳修院の第一瞑想室で久しぶりに瞑想。坐りながら、やはり私は瞑想が好きなんだなあ、と実感しました。

瞑想終了後のご法話は、無礙解道から四色界禅、四無色界禅、十八随観智、四道智の計三十種の証悟における三転・三善・十相具足の顕現についての解説でした。
本日も禅師のご法話は、実に流麗で情熱にあふれ、ご自身の体験からくる強い説得力に、浅学非才の私もグイグイ引き込まれました。

なお今週の土日は傳修院リトリートが開催されます。土曜日正午から行われる無礙解道の講義では、Ānāpāna修行者にとって非常に重要な「満月の譬え」の解説があるそうです!
さてさて、私は…戦場のような職場から離脱し、参加できるのか…?!

皆さん、ぜひご参加ください!

参学者 MS

6/3ウポサタ傳修会&第51回原始仏教トーク「仏陀荘厳」

● 修行者のためのアビダンマ講座#227 二十四縁起中伝第29回

今回は中央区日本橋公会堂2Fで、アビダンマ講座、原始仏教トーク、ヴェーサーカ祭、Q&Aが開催されました。
傳修院で瞑想、法話、質疑を聞くと不思議と元気が出てくるので毎週がんばって出席しています。

最近段々楽しくなってきたアビダンマ講座は、先週までで二十四縁起の前半が終了し、いよいよ後半にはいりました。今日は13番目の縁起であるKammapaccayo(業縁)について学びました。

Kammmapaccayoには、いわゆるkammma(業) → vipāka(異熟)の縁起と、Cetanāの性質のひとつである「同時に生起するNāmarūpa(名色)をまとめ牽引する」縁起のふたつがあるとのお話でした。

二十四縁起の講義では、とにかく暗記することが求められています。
最初はなかなかスタンザが覚えられませんでしたが、コツをつかんでからは、どんどん暗記できるようになり、なかなか爽快です。以前に学んだアビダンマの内容もフル動員し、より深くダンマを学べている気がしています。

参学者 K

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● 原始仏教トーク 第51回「佛陀荘厳」

今月の原始仏教トークは、「仏陀荘厳」についてでした。

まず、お釈迦様のご入滅後、在家信者の方々が、礼拝の対象として、どのように自分の心の拠り所を作ってきたかという歴史についてお話がありました。
初期の頃は、仏舎利/ストゥーパ(仏塔)信仰、仏足信仰、菩提樹信仰など、「偉大なお釈迦様のお姿は直接描かない」様式での信仰・礼拝が一般的であったとのことで興味深かったです。

そのような中、ギリシアのアレクサンドロ三世王の東方への侵攻が始まると、ガンダーラ地方やマトゥラー地方を中心として彫刻文化が広まり、やがて仏像が広く製作されるようになって、ストゥーパ(仏塔)の代わりに、仏像を自宅にお祀りし礼拝するスタイルが、徐々に確立されていったとのことでした。

仏像を中心としたシュライン荘厳の習慣は、北インドから中国、チベット、そして日本へと伝わり、その過程において、厳格かつ、洗練された荘厳の様式が確立され、様式美が生み出されていったとのことでした。反面、南インド~セイロンには厳格な荘厳様式はあまり拡がらず、現代でも見られるような、よく言えば自由、批判的に言えば本尊軽視の風潮が生まれたのかもしれない、とのお話しでした。

そして、仏滅後2600年も経ってしまい、過去の様々な信仰の心の拠り所としての対象物が、形骸化してしまっている現在、我々は、どのようにお釈迦様への礼拝の想いを確立していけるのか?

ポイントは、以下の3点だったように感じました。

① ご本尊(=ブッダニミッタ)は、自分にとって「ただ一つのみ」にする。

② そのご本尊(=ブッダニミッタ)で、まず自分の心の内陣にシュラインを建立する。そして次に、その内的シュラインと相似になるような清浄な外的なシュラインを、自宅に建立する。

③ 日々、内的、外的の2つのシュラインにご供物を奉納し続け、洗練された荘厳方法で、浄化し続け、三宝との一体感を高め、自分のsaddhā、菩提心を最高度に高めていく。

①については、「ご本尊が定まっていない人は、saddhāも定まらない」という言葉が印象的でした。
確かに、せっかく自分の心に生まれた菩提心のパワーを分散させないためにも、「仏像なら何でも良い。荘厳様式も何でも良い。」という適当であいまいな態度は、戦略的ではないと感じました。

また、禅師が、ご本尊として、なぜ、このブッダニミッタをご選択されたのかという理由のお話がありました。

「無駄な装飾がなく、瞑想、随念が深まった時に心に現れるウッガハニミッタに極めて近いので、スムースに随念・瞑想に入ることができ、修行が進んでも、一生にわたり、さらに輪廻を越えて自分のニミッタとして確立できる」「仏像としては最も古いガンダーラ様式で作られた仏頭である」「禅師の経験上、これ以上、瞑想、随念に適したニミッタはない」「禅師を含め、過去世においてお釈迦さまと直接会った経験のある比丘達は異口同音に、このブッダニミッタのお顔は、実際のお釈迦様の醸し出す雰囲気に極めて近い、という印象を持っている」ことなどがあり、自らの全てを放棄して、仏法僧へ礼拝する為のシンボル、サイン、トリガーとして、非常に有用なものであるとご説明がありました。

②については、まず、自分の心の内陣にて、「アーナンダ長老が、毎日、お釈迦様、お釈迦様のダンマ、そして修行完成された先達の方々へ感じていた三宝への熱い想い」を想像し、「お釈迦様と24時間常に一緒に生活し、修行する気持ち」をブッダニミッタによって確立し、内的シュラインを建立する重要性が説かれていたように思います。
内的シュラインが存在した上で、はじめて、その熱い想いを的確に反映した外的シュラインが建立できるのだと思います。

③については、心の内的シュラインのご本尊へのご供物は、日々の自分の修行から生まれる五根であり、それらをご奉納し続けて行くとのことでした。
また、その心の内的シュラインの清浄性と呼応するような形で、外的な自宅のシュラインも如法に、そして、洗練された方法によってご供物によるご奉納を継続し、その具体的かつ実現可能な手法として、「打敷(うちしき)」「五具足(ごぐそく)」「三具足(みつぐそく)」などの荘厳方法を教えていただきました。

外的なシュラインを清浄に保つ最低限のこととして、毎日、シュラインの前で、「三礼拝」「三帰依」「五戒」「仏随念」「法随念」「僧随念」を、心を込めてお唱えすることが伝えられました。

また、傳修院として、「ご本尊(=ブッダニミッタ)」「 打敷 」については、参学者に、禅師のご祈願の後に、如法なシュラインを自宅で建立できるように、ご提供いただける予定との嬉しいお知らせもありました。

今回の原始仏教トークは、一点の迷いも無い、仏法僧の三宝への絶対的な帰依の気持ちを、「ご本尊(=ブッダニミッタ)」「内的シュライン」「外的シュライン」の3つのリンケージを通して、どのように自分の心に日々強固に確立し、saddhāや菩提心を最高度に高めていけるのかについての具体的な方法についてのご説明であったと思います。

いつも禅師に教えていただいていることですが、熱いsaddhāや菩提心がなければ、いくら難しいアビダンマを勉強しても、アナパナ瞑想を実践しても、修行は一歩も進まない。

自分にとっては、その教えを再確認できたご法話でした。

● ヴェーサカ祭法要

その後、「ヴェーサカ祭」が開催されました。

禅師によってヴェーサカ祭開催の法要がなされた後、参加者一同によって、仏随念が唱え続けられる中、一人一人、お釈迦様への感謝の想いを胸に、ご奉納していきました。

全員のご奉納が終わるまで、かなり長い時間になりましたが、その間、仏随念を唱え続けるというのは、他のすべてを忘れて、仏随念だけに没頭できる時間であり、とても厳粛なものでした。

● Q&A

この日、最後のパートはQAのセッションでした。

「腰痛への対処法」「どこまでがKammaによるvipākaといえるのか?」「自分に直接関係ない他人のkamma-vipākaに関して何か意見しても良いのか?」「お寺のご本尊の前で、自分の内なるブッダニミッタを礼拝するのは問題にならないのか?(お寺のご本尊が気分を損ねるなど)」「自分の思考で心をコントロールできるのか?」などに対してのご回答がありました。

自分にとっては、最後の質問に対するご回答が興味深かったです。

心路過程に表出する表面的な3つのmanasikāraの他に、心の深い部分(āsava、puñña、pāramīなど)にもmanasikāraが存在し、それらが心の舵取りをしているので、manasikāraをコントロールしない限り、心はコントロールできない。
それらが二十四縁起では、ārammaṇādhipati-paccayo, ārammaṇūpanissaya-paccayo, pakatūpanissaya-paccayo などと呼ばれているもので、無始無終の心の連続体の傾向性を決定付けている。

では、自分のmanasikāraをコントロールできるものは何なのか?
それは、思考ではなく、adhiṭṭhānaの力であり、強固なmanasikāraの心の傾向性の舵取りをコントロールするには、āsevana-paccayoの力を利用した力強いadhiṭṭhānaを長期に渡り続けるという地道な誓願力に頼るしかない。
そのadhiṭṭhānaはāsavaよりも深く浸透し、積み重ねが強固な基盤を確立し、やがて、manasikāraをコントロールし、āsavaを根絶することが出来る。
pāramī カードは、地道で力強いadhiṭṭhānaを長期に続ける強力なツールなので、有効活用して欲しいとのお話でした。

今回の原始仏教トークの「仏陀荘厳」にも、まだまだ自分のsaddhāや菩提心を育てる大きな可能性があったように、adhiṭṭhānaや誓願力もまだ全然有効活用出来ておらず、何か自分の仏道修行を一歩前に進める大きな鍵が隠されている気がしたので、自分なりにもう一度、現状を再検討してみたいと思いました。

参学者L

第29回托鉢会〜道場菜園初の収穫!〜

本日は水無月に入り一回目の托鉢会、そして晴天です。

前後が雨天だと、屋上の野菜の手入れが出来ないため、最近はスマートフォンの天気予報に松戸の天気を設定し、週末の天気をチェックするようになりました。

この水無月は、人も体調を崩しやすい時期ですが、野菜もまた、雨(水)を介して病気が発生しやすい時期となり、葉や茎を傷つけないよう注意が必要です。

さて、本日は夏らしい食材のお料理が並びました。トマトにゴーヤ、屋上のパクチーも登場です。

<トマトと鶏肉の煮物>

<ゴーヤチャンプル>

<台湾風肉そぼろ〜パクチーを添えて〜>

<道場で取れたパクチー!>

私は、新ごぼうのきんぴらと、キュウリの辛み漬けを持参しました。
アビダンマ講座で最近よく出てくるのはジャバナ(javana)。このキュウリの切り方はジャバラ(蛇腹)です。やや紛らわしいですが、味がよく染みています。

<きゅうりの辛み漬け>


<新ごぼうのきんぴら>

托鉢会は何度か参加していますが、食事をお布施することで喜びが自然と生じるのに加え、終わってから夜に瞑想すると感じ良く座れるため、一度参加するとクセになる側面があります。

 

今日のシュラインのお花は、この晴天の暑さの下、涼を運ぶかのように涼しげな色合いです。       ー 水無月の 汗を離るる ほとけかな(鬼貫)ー

 

蓮が勢いよく伸びてきました。メダカも気持ちよさそうに泳いでいます。

屋上ではナスとキュウリの一番果がお目見えです。



まだ株が小さいため、一番果は小さいうちに収穫します。


よく見ると、枝豆も実を付けています。


こちらはジャガイモ。
芽かき後、新しい葉が全く出てこず、夏疫病に負けてしまうかとヤキモキしていましたが、ようやく葉が出てきました。「インカの目覚め」、ついに目覚めたのかもしれません。


写真の真ん中近くに2本、先ほど一番果が採れたナスと品種の異なるナスが育っています。その名も「極み」。

一番果が採れたナスは、「定番」でした。同じように育てているのに、「定番」のナスとは成長具合が全く異なります。「極み」は背が余り伸びていません。

植えれば、そのまま極められた最高の実が収穫できるものだと思っていましたが、考えてみれば、何事も極めるには努力や工夫が求められます。初心者に無難な”定番”とは異なります。
努力せずとも最高の極みのナスが採れるだろうなどと、浅はかな考えでいた己が恥ずかしくなります。

私事ですが、気になることはちゃんと確認したい性格で、今日は土壌のEC値を測定しました。
畑の左側エリアに植えている作物の背が余り伸びず、肥料不足なのではと気になっていたのです。

さて、その数値。

0.03と低いです。畑の右側エリア、一番果が採れた周辺の土は0.1以上あります。思った通り、右側と同じように施肥していても、左側は肥料が足りていなかったようです。

今日は本支柱を立て、すっかり畑らしくなりました。これから梅雨に入りますが、排水溝の掃除も済んで(Kさん、お手伝いありがとうございました)、準備も万全です。

明日は原始仏教トークとヴェーサカ祭。
お釈迦様に想いを馳せつつ、托鉢会の余韻の残る中、今夜はゆっくり瞑想したいと思います。

参学者TS

第29回水曜瞑想会

本日は水曜瞑想会に参加しました。

生憎の雨にも関わらずいつも通り参学者の方々がが集まりました。

皆さんの日々の修行の成果なのかますます道場の静寂さが洗練されていくのを感じています。

そんな中まずは禅師とともに30分の瞑想です。

個人的には意識不明?の瞑想になってしまいましたがやはりこの雰囲気で瞑想は素晴らしいですね!この後の講義で瞑想のレビューは修行完成の時まで一座一座必ずすることの重要性を語られていました。

 

続いて無礙解道論のアーナパーナサティの解説です。本日は初禅の劣位性、二禅の優位性などについて講義されました。行法にあたるため、具体的な内容への言及はしませんが、こうして瞑想中に起こる現象に対して学んでおくことで、迷いなく確信を持って修行を進めていけることと思います。

またお経で見られる繰り返しの部分を…(中略)と記述してある部分は、修行者としては飛ばさずしっかり暗記、随念することなどが大事だということでした。

これからも帰宅ラッシュを出来るだけ心静かに過ごしながら毎週水曜道場に通いたいと思います。

参学者C