2018/12/1 第54回托鉢会、メディテーションワークショップ「自宅で瞑想する」


托鉢会から参加させていただきました。

参学者の奥様がお作りになられたラタトゥイユ など数々のお料理が御布施として並びました。

ビーフシチュー

ラタトゥイユ

かぼちゃサラダ

大根の甘酢あんかけ

アスパラとキノコの和え物

お料理の得意でない方も、奥様やお母様の積徳の機会として、托鉢会は大いに利用できるので 大変ありがたいと思いました。

托鉢会の後は、車に器材を皆で協力して積み込み、銀座のワークショップの会場に向かいました。

会場は大変盛況で、新しい参加者の方がたくさんいらしていて、とても嬉しかったです。

禅師によって、お釈迦様直伝のアナパナサティの瞑想法がご指導され、参加者の方々も、熱心にメモを取られていました。

そして、禅師と一緒に数分間の間だけでしたが、色々実体験されている姿がとても印象に残りました。

その後の質問コーナーでも、参加者全員にプラサードとして渡された チョコパイとクッキーを食べながら、色々なざっくばらんな質問について、禅師がご回答され、とてもカジュアルな雰囲気の中で、参加者の方々も色々と学ばれていらっしゃるようでした。

 

これからのワークショップにも、新しい参加者の方がたくさん参加され、また本日習った瞑想を日々実践されて、また新たな発見や疑問点を持って、リピーターとして参加してくださる方が増えると嬉しいなあと思いました。

ワークショップ終了後、道場に戻ってからは、法友と瞑想修行したり、ダンマトークをしたりして過ごしました。

ゆっくりとお釈迦様のダンマに心を専注できる場所があることは、とても心強くありがたいことだなと思いました。

参学者L

第2回メディテーションワークショップ-初心者のためのアナパナサティ-

「今日は雨の中いらっしゃって下さってありがとうございます」という禅師の一言で始まった初心者のためのアナパナサティ講座。大型の台風の接近を間近に控え、生憎の空模様でしたが、告知されてからそれほど長い期間がなかったにも関わらず、傳修院広報担当のOさんの努力の甲斐あって、多くの初参加の方々がお見えになりました。

場所は観音様で有名な浅草寺のすぐ側にある浅草公会堂。歌舞伎をはじめとする大衆芸能の殿堂で、約四十年の歴史があるそうです。その四階にある畳敷の集会室で、この講座が開かれました。浅草は今まであまり来たことがなかったのですが、新宿や渋谷とはまた違った趣の、独特の活気のある繁華街です。外国人観光客の姿も目立ち、着物姿の人も多く、「和」のテイストが前面に出ています。禅師も「若者に今最も人気のある街の一つらしいですね」とおっしゃっていました。


講座の内容は、大きく分けれ三つのセクションからなっていました。まず初めに、アナパナ瞑想それ自体に入る前段階として、周囲の環境も含めた身体の整え方、及び心の整え方について、詳しい説明がありました。次に、アナパナサティの定義と特徴、他の瞑想法との相違点、基本的なやり方、注意すべきポイントなどについてのお話があり、最後に参加者から寄せられた様々な質問に対する回答がありました。どのセクションの内容もとても簡潔で分かりやすく、活き活きとした語り口で、初心者が持つであろういくつかの疑問点や、陥りがちなミスに対しても、予め先回りして丁寧に解説して下さいました。

ここにとてもその全てを書くことはできませんが、いくつか印象に残った内容をピックアップしてお伝えします。傳修院でも普段から禅師が再三強調されていることですが、瞑想それ自体の重要性にも増して、「前行」「後行」が大切だということ。これが上手にできるかどうかで、全く瞑想のレベルが変わってきます。それから、短くてもいいから、毎日継続することが肝要だということ。「何も思考しない時間を持つ」ということの大きな意義。「座ってやることのみが瞑想」というのは誤った固定観念で、瞑想はスッタニパータの「慈経」にあるように、座っても、立っても、歩いても、横になってもできること。アナパナ瞑想の対象である入出息以外に注意が逸れたり、雑念が湧いたときは、ラベリングなどの技法より、ただシンプルに「さらり、さらり」と流してしまうのが最適だということ。瞑想を急にストップして、いきなり日常生活に戻るのは心を傷つけてしまう危険性があり、できるだけ時間に余裕を持って、余韻を楽しみながらゆっくりと瞑想を終えることが大事ということ。これらは講義のほんのごく一部です。個人的には、これらの内容がいつか書籍化されて、より多くの人に伝わったら素晴らしいなと思います。

一時間半ほどのお話の後、傳修院の典座であるIさんお手製の美味しいチャイがふるまわれ、その後質疑応答のコーナーに移りました。「瞑想中眠くなるのですが」「なるべく早く瞑想モードに切り替えるにはどうしたらよいですか」「雑念で集中が途切れてしまいがちです」「長いほど良い瞑想ですか」など、基本的ではあっても、どの瞑想修行者においても共通する、非常に切実な内容の質問が寄せられました。初めて来られた参加者の方々の、瞑想に対するモチベーションの高さと真剣さが伝わってきて、大変感銘を受けました。

私自身もこのセミナーに参加して、また明日からの瞑想修行に、新たなエネルギーをもらったように思いました。惜しむらくは、あっという間に所定の時間が過ぎてしまい、もう少しだけ余裕があればなあと感じました。そのくらい講師と参加者の心が一つになった、濃密なセミナーでした。

今後も二か月にいっぺんのペースで初心者向けの瞑想講座が開かれる予定だそうなので、関心のある方は時々傳修院のホームページをチェックしてみて下さい。次の講座が楽しみです。

参学者Q

第一回メディテーションワークショップ

ふと我に帰って辺りの景色を見回すと、今自分がとても不思議な場所にいることに気づきました。その建物はまるで小舟のように池の上に浮いており、真夏の強い陽射しが水面を照らし、反射した光がひさしにゆらゆらとした波の模様を作り出しています。まるで建物がゆっくりと水の上を進んでいるようにも感じられます。窓のずっと向こうには、深い緑の木々と都会の高層ビル群が目に入ります。

ここは江東区の清澄庭園の中にある数寄屋造りの建物、「涼亭」。明治の終わりに建てられた歴史的な建造物です。

そんな由緒ある場所で、マハーカルナー禅師による、瞑想初心者のための第一回メディテーション・ワークショップが開かれました。昨今のトレンドとして、ビジネスマンの間で「マインドフルネス」という言葉が広く認知されたり、最近では悪天候のためタイの洞窟に閉じ込められた少年たちが、いつ来るともわからない救援隊を待ちながら、真っ暗で食料もない非常に過酷な環境の中で、ずっと瞑想をしていたということが、全世界に報道されたりもしました。

世は空前の瞑想ブーム。おそらく今日も、地球上で数多くの人たちが瞑想について学んでいると思われます。でも、今ここにいる私たちのように、こんなにも美しく厳粛な環境の中で、瞑想を修習している者はいないのではないか、そんな気がする場所でした。

傳修院では、小部経典の『無礙解道論』の記述に基づいて、出来得る限りお釈迦様在世当時に説かれた、アーナパーナサティと呼ばれる瞑想法が教えられています。しかし本日はアーナパーナサティ瞑想法そのものではなく、前行、後行、姿勢、心がまえなど、いわば瞑想「そのもの」以外の「エトセトラ」について詳しく語られました。

以前から何度か聞いている事柄もありましたが、こうしてまとめて体系的にお話し下さると、とても覚えやすく勉強になります。本日の講義内容は、ビデオで記録されましたので、いつか近い将来、一般の方々にも公開されるでしょう。これはアーナパーナサティを学ぶ人のみならず、いわゆるマインドフルネス瞑想やラベリング瞑想、また座禅や密教瞑想などを日々実践されている人達にとっても、非常に有益な内容であろうと思われます。乞うご期待!

今日の禅師のお話で、非常に強く印象に残ったものを二つご紹介します。
まず一つは、「Vajra Sāvaka(ヴァジュラ・サーヴァカ)」という言葉。
これは「金剛(ダイヤモンド)の弟子」のことで、不動、不壊、不退転の菩提心を持った弟子を意味します(密教でいうVajrasattva金剛薩埵と同義)。私たちはお釈迦様からもう既に2600年も隔たってしまっているけれども、「私はお釈迦様の直弟子なんだ」と強く思うこと、少なくともそういう心意気で修行することが、瞑想の上達のために非常に大切だということでした。

二つ目は、「入出息を自分の業処(集中の対象)としてしっかりと確立させること」。
もちろん仏教には入出息の他にも様々な業処がありますが、もしひとたび、入出息を「自分の業処」と定めたからには、目覚めている間は出来得る限り自らの入出息に対して意識を向けていることが肝要だということです。もう自分には「入出息しかない」、自分は「入出息を気づいていられれば何もいらない」と思えること。いつもいつも入出息という対象を自分の心から離さないこと。
仏教徒としてこういう喩えは適切かどうかわかりませんが、ちょうど恋愛において「〇〇さんが大好き!」と思ったとしても、「〇〇さんのことを思い出すのは三日に一度」だとしたら、「本当に好き」ということにはならないでしょう。それと同じことです。「入出息と恋に落ちる」こと、「寝ても覚めてもずっと入出息に心を向けていること」が必要なのですね。

本日のワークショップに参加して、思い出した長年の愛読書があります。
それは、森下典子さんの『日々是好日 ー「お茶」が教えくれた15のしあわせー 』(新潮文庫)という本です。これは著者が十代から四半世紀ほどの間、はじめは意味が全然分からず、むしろ苦痛だった茶道という習い事を、ずっと止めずに継続したことで、ある日突然(著者の言葉を借りると「定期預金の満期のように」)、世界の見え方感じ方がガラッと変わってしまったという体験が綴られています。少しだけ引用します。

「人には、どんなにわかろうとあがいたところで、その時がくるまで、わからないものがあるのだ。しかし、ある日、わかってしまえば、それを覆い隠すことなどできない」

この本を読むと、お釈迦様が示された涅槃証悟を目指す「瞑想」(特に瞑想そのものではなく、それにまつわるエトセトラ)と、世俗的な「お茶」という違いはあるけれども、広い意味でこの二つは東洋の深淵な文化的背景を共有しているのだなということが、よく理解できます。「まえがき」だけでも人生を変えるくらいの名文なので、是非。

 

 

参学者Q

第2回マインドフルセミナー「絆-ここちよい人間関係の作り方」

本日は第2回マインドフル・セミナーが行われました。このセミナーは一般の方々に仏教の素晴らしさをお伝えするという趣旨で、2ヶ月に一度開催されています。今回はレンガ造りのおしゃれなカフェ・スペースのような会場で、参加者は禅師を囲むように座り、くつろいだ雰囲気の中で法話が始まりました。

今回のテーマは「絆 - ここちよい人間関係の作り方」です。

今日のお話のハイライトをいくつか挙げてみます。

人と人との関係には、「仲がよい」⇔「喧嘩をしている」という二極の間に、様々な微妙なニュアンスをともなったレベルがあること。
そのニュアンスを客観的に認識することから、人間関係の改善がはじまること。
その人との最も適切な距離を知り、それを保つこと。
貪りによって距離を縮めたり、怒りや嫉妬によって距離を離したりしないこと。
相手から攻撃を受けた場合は、言い訳や反論はせず、反撃もせず、沈黙を守り、しばらく距離を置くこと。 そのかたがその行為によって異熟現象を結実させた場合は、終始ただ中捨の心に住すること。

人間関係は、言葉や行動によるキャッチボールのようなものであり、
相手がどんなボールを投げてこようが、相手が取りやすいボールを投げてあげることを旨とすること。
ドッジボールのように相手にぶつけるためにボールを投げるのは、コミュニケーションではない。それは心が成熟していない人がやることである。
むしろ、たとえ相手がドッジボールのような球を投げてきても、うまくキャッチし、
相手に対してはいつも、捕球しやすいボールを投げてあげること。
成熟した人間であれば、そのように反応するべきである。
人間関係を改善したい場合は、Gratitudeの随念を試してみること。

以上のようなお話のあと、美味しいチャイとプラサードがふるまわれ、Q&Aがおこなわれました。


とてもオープンな雰囲気の中、会社での人間関係、家族との関係のこと、友達との飲み会のこと、夫の昇進を巡っての主婦同士の嫉妬のことなど、いつもの瞑想会では出ないような、日常的で身近な質問が次から次へと飛び出しました。
禅師も時に例えを交えながら、わかりやすくお答えになりました。

ともすれば初心を忘れがちで、Satiも未熟な私にとっては、マインドフルセミナーは原点を思い出させてくれる貴重な機会です。
今回も「そうだ、適切な距離感が大事だった」と再認識でき、またキャッチボールの例えはとても新鮮で、これからは常に心掛けたいと思いました。

参学者N

第1回原始仏教セミナー「素顔のままで」

本日は記念すべき第1回目!原始仏教セミナーが開催されました。

生憎の雨と寒い中ではありましたが、はじめて傳修院のイベントに参加される方もたくさんお見えになりました。

禅師が参加者の方々に語りかけることから始まります。瞑想に興味がある方が多く見られたため、まず何から始めればいいかを語られました。

「瞑想は心のコントロールから始まる」

心をしっかりコントロールし、対象に向かわせることが瞑想の基盤であり重要であるとのこと。もし関係ない思考が、湧いてきたらそれが何であれさらりさらりと流す。具体的実践方法としては鼻先を出入りする呼吸の感触に意識を向け、思考が浮かんできたらそれを払うというもの。この練習は瞑想の基礎となるだけでなく、様々な目標を雑念に振り回されず達成する力も養われる効用があるとも語られました。この練習をしっかりすることは瞑想を高度な段階に進めていくことに必須だと断言されました。長年仏教や瞑想を学んできている人にも実にクリティカルな内容ではないでしょうか。

途中禅師からお菓子、参学者お手製のチャイが配られ、和やかな雰囲気の中セミナーは進んでいきます。

「素顔のままのあなたで」

日々生活していく中で、着飾ることはありそれ自体は悪いことではありません。しかし、そのイメージに執着することは苦しみを生み、嘘をついてしまうことにも繋がります。楽に生きるには作り上げたセルフイメージを手放すことが大事である。以上が「素顔のままで」の意味するところでした。思わず着飾ってしまわぬよう注意したいものです。

質疑応答を交えながら、セミナーは進んでいきました。瞑想について、日常における怒りの対処についてなどみなさん自由闊達に質問され大いに盛り上がりました。

瞑想、仏教に興味を持ち始めた方にオススメのセミナーなのはもちろんです。しかしここで語られる内容はシンプルかつ重要であるため、普段瞑想会によく参加されている方であっても新たな気づき、理解が得られる素晴らしいセミナーだと思います。次回も楽しみにしています。

参学者C