2018/10/10 第48回 水曜瞑想会

本日は水曜瞑想会でした。静謐な雰囲気の中で禅師や善友と共に瞑想をすることができる貴重な機会です。

瞑想後の法話は、無礙解道論です。今月からいよいよ、四念処の最初に書かれているānāpānasatiについての解説が始まり、心躍ります。

本日は、先の土曜日に開示された「長入出息の九行相」の復習から始まりました。アナパナサティの十六行のスタンザは各行が入息と出息から成り立つため、実質的には三十二行から成り立ちます。九行相は、その三十二行の全てに当てはまる修行のポイントであるため、特に重要であるとのことです。

禁他見のため詳細は省略しますが、最初の三行相は以下のとおりです。

①長い入息とみなした長さいっぱいを正念正知をもって出息する。
②長い出息とみなした長さいっぱいを正念正知をもって出息する。
③長い入出息とみなした長さいっぱいを正念正知をもって入出息する。

ここでは、呼吸の長さではなく、呼吸の長さいっぱいを観察しながら感受していくことが大事であり、単に呼吸の一部を捉えて「入息」「出息」とラベリングするものではありません。

次の三行相は以下のとおりです。

④Chanda(志欲)が生じて、さらに微細に なった長い入息について(以下、①と同じ)。
⑤Chanda(志欲)が生じて、さらに微細になった長い出息について(以下、②と同じ)。
⑥Chanda(志欲)が生じて、さらに微細になった長い入出息について(以下、③と同じ)。

最後の三行相は以下のとおりです。

⑦Pāmojja(勝喜)が生じて、さらに微細になった長い入息について(以下、①と同じ)。
⑧Pāmojja(勝喜)が生じて、さらに微細になった長い入息について(以下、②と同じ)。
⑨Pāmojja(勝喜)が生じて、さらに微細になった長い入息について(以下、③と同じ)。

以上の九行相がアナパナサティの骨組みであると説示されました。

さらに進むと、Cittaの所縁が長入出息から退転するという現象が生じ、そこにTatramajjhattatā(中捨)が確立し、Upacāra-samādhi、Appanā-samādhiへとCittaが導かれていくと説示されました。以上が前回までの復習です。

次に本日のテーマであるSati Upaṭṭhānaの解説です。
Sati Upaṭṭhāna(念の現起)とは、Kāya(入出息と触)を感受・観察するレベルの念と、慧根と結びつき活性化した鋭い念(正念正知)との二段階の現起があることが開示されました。また正念正智によってKāyaを随観することが四念処法となると説示されました。

引き続き、Anupassanā(随観)の概説がありました。
無礙解道のこの部分はVipassanāの解説ではあるものの、修行法を俯瞰する上で役に立つため解説をいただくことができました。
四念処法は、禅定修行から観行、道果智の証悟に至るまで、螺旋階段状の構造になっており、Bhāvanāもまたそのように修されるとのことです。

例えば、Iriyāpatha(威儀)の「比丘は歩いている」を例にとると、
初心の修行者であれば、メタ認知のように「私は歩いています」「私は前に右足を出しています」などという行動認知の段階からはじめる必要があるかもしれません。

しかし実際のVipassanāの段階に至れば、先ず「歩かん」とのCetanāが生起し、実行するChandaが生起し、同時に生起するCittaがKāyaviññattiを生起させて、自分の足を中心とするKāyaが今の場所で消滅して次の場所で生起する、というプロセスの繰り返しによって歩行が成立していることを観察し、そこに関わるすべてのCitta、Cetasika、Rūpaの生起消滅を明確に識別し、そこに内在する無常性・苦性・無我性を随観していきます。

Ānāpānaを禅定修行として修習しているのであれば、先の無礙解道論の解説のとおり、ChandaとPāmojjaにそって修行していけばよいわけです。

しかしVipassanāの段階のĀnāpānasatiでは、Kāya(入出息であるCittaja rūpaとPoṭṭhabbaの三種のMahābhūta-rūpa)について生起消滅を明確に識別し、そこに内在する無常性・苦性・無我性を繰り返し随観し、常住・常楽・実体という謬見を砕破するべくVipassanāを何度も修習していきます。

この二つの別の段階を混ぜて、Pāmojjaの歓喜を否定して、これは苦である、と観察することはもちろん誤りであり、禅定修行とVipassanā修行を決して混ぜてはいけない、ということを重ねて注意されました。

参学者S