第46回水曜瞑想会

冷たい雨の中を水曜瞑想会目指して歩きます。住宅街の夜の暗がりに傳修院をみつけると瞑想室の窓にほんのり明かりが灯っているのがみえました。その暖かな明かりをみてなんだかホッとしたような気持になります。水曜瞑想会はまず30分の瞑想からスタートしますが、心から安心して坐れる場所がある、ということはありがたいことだと毎回実感します。安心して坐ることができる場所だと瞑想の質が違うように感じますし、瞑想後の余韻も気持ち良いものに感じられます。

本日の法話は無礙解道入出息論 Lokoti(世間論)です。お釈迦様の世間における役割について説かれたものとのことです。

禅師が以前おっしゃられたように、瞑想前にお釈迦様の徳について隨念することは非常に大切なことのようです。お釈迦様の智慧、お釈迦様の慈悲、お釈迦様の清らかさなどを自分の内に想うことで自らの中にそうした智慧、慈悲、清らかさが育っていくように私にも少しだけですがそのように感じられます。

…ところが、このことにともなって最近よく考えるのは、実は私はお釈迦様のことをよく知らない、という事実です。

確かに、私は子どもの頃にお釈迦様が主人公の絵本をみていた記憶がありますし、神社仏閣が大好きで以前は浅草寺、川崎大師、成田山新勝寺などのお寺に月参りしたり、禅寺の坐禅会に参加したりしていた時期もありました。
般若心経や観音経、維摩経といった御経に関心を持ち解説書を読んだり、仏像が好きになって博物館の仏像展を見に行ったりもしました。ですから、自分は仏教を少しは知っているのだと思っていたのです。
しかし考えてみると、私は仏教をお説きになった肝心要のお釈迦様のことをよく知らないのです。
お釈迦様よりは、空海や白隠の業績の方を詳しく知っているかもしれません。パーリ経典はそのほんの一部分しか読んだことがありません。「信」という点でも釈迦如来像より観音様や不動明王に親近感を抱いてお祈りしていました。

お釈迦様とはどのような方だったのか…。
そこで、現在は原始仏教関係のお釈迦様に関する書籍には努めて目を通すようにし、禅師からいただいた佛陀ニミッタは常に持ち歩いて折に触れ心にとめるようにしています。そして、この水曜瞑想会の法話では前回までの佛陀論、今回の世間論ともにお釈迦様がどのようなお方なのか、どのような徳をお持ちなのかが分かり、大変有益だったと感じます。

傳修院の参学者の方でインドを旅され佛陀の聖地を巡礼された方がおりますが、古の精舎跡で瞑想することによってもお釈迦様とそのお弟子たちの息吹を感じることができるとのことでした。もちろんその方は高い境地をお持ちの方ですが、私もできるだけお釈迦様を自分の内に感じることができるよう努めていきたいと思います。

無礙解道Lokoti(世間論)の解説は今回一回で終了ですが、無礙解道には短いながら素晴らしい内容のスタンザがたくさんあるとのことで、すべてでなくともその短いフレーズ(パーリ語と南伝大蔵経の訳文)だけでも覚えるのがよい、と禅師よりアドバイスがありました。私も少しずつでも前進できるよう精進したいと思います。

参学者S