9/23ウポサタ傳修会

今年は猛烈な暑さが続きましたがさすがにお彼岸ともなるとだいぶしのぎやすくなりました。
今日は午前の瞑想に途中から参加して、午後のアビダンマ講義と質疑応答まで受講しました。

アビダンマ講座は、二十四縁起の倶生縁の縁法と縁所生法の詳細な解説がありました。また次回以降に開示される予定の倶生縁のサブグループについても少し言及がありました。

Q&Aで印象に残ったのはSaddhāについてのお答えでした。
Saddhāという心所は対象を選ばない、対象がたとえイワシの頭であったとしても、本人の純粋な心からでたものであれば、燃え上がるようなShddhaが生じ得る、すべては修行者に生ずる燃え上がるような思い次第である、というお話でした。

もう一つ面白かったのが、一般の宗教は家のようなものであり、お釈迦様のダンマは道である、という譬えでした。
「普通の宗教は家」とは、家にはその価値体系、思想的体系があり、それを受け入れるなら誰でも家の中に入ることができる、家の中ではみんなといっしょに守られるし、それなり恩恵も受けられるだろう、ゴールまで達する必要もないし、人生のセコムみたいなもので、リスクを回避しながら安心して世間で生きていくことが目的だということです。

一方仏教は柔道や茶道のような道(どう)であり、「究めるべきもの」というのが前提にあるとのことでした。
家のように中で安心して落ち着いていればよい、という訳ではなく、常に前進すること、進歩することが期待されており、
師匠が手を引いてくれないととても進めない茨の道なので、2,3年で飽きてしまう人も多い、とお話しになりました。
そして、この道を進む根源的駆動力はSaddhaであるとのことでした。
この「2,3年で飽きる」というのと「Saddhaが駆動力」というのがポイントだと思いました。

たとえば稽古事やっていると誰でも2,3年経つと外面的な型は何となく覚えて、それっぽく見えるようになります。その時点で「こんなもんだ」と思って稽古そのものを辞めてしまったり、続けたとしても進歩が止まってしまう、そんなことが起こるのをよく目にします。やはりこれも駆動力であるSaddhaの枯渇に原因があるのだな、と思いました。

どんなことでも、自分が長年情熱を注いでやっている場合、情熱を燃やし続けるエネルギーと、仏教修行におけるSaddhaの関連性についてよく考えてみたい、と思いました。

参学者 KT