6/24ウポサタ傳修会

本日のアビダンマ講義は二十四縁起のIndriyapaccayo(根縁)がテーマでした。スタンザ自体は今までと似ていますが、そもそもIndriyaとは何か、いかなるIndriyaがあるのか、根縁に関わる各Cittaに随起するCetasikaは何か等については、背景としてアビダンマの深い理解が必要であり、とても勉強になる一方、今回も「急いで過去のアビダンマ講義を聴かなければ」と切迫感が湧く内容でした。

その後の修行報告に基づく瞑想指導では、示唆に富むアドバイスをいただきました。

まず、禅師がブラジルで修行を行っていた頃、四念処の随観を1日15時間行い、3時間睡眠の眠気を払拭するためにCankamaを多用された話を伺いました(そのvīriyaに圧倒されました)。

正しく心を使えば、Cankamaでも座禅と同程度の専注が得られること、肉体が疲労しているとき、雑念が止まらないとき、隨念を中心に修行するときは、特にCankamaが適していること、毎朝、時間が取れない人も、座禅ではなく、朝起きてそのままCankamaをすることによって、10分程度の瞑想時間は容易にとれるであろうこと、ベッドからトイレまで、ゆっくり10分かけてCankamaをするのもよいなど、日々の修行にCankamaを取り入れる為の様々なアドバイスをしてくださいました。

次に、会社を早退して道場に来山して掃除をした後、瞑想したら、よい専注できたとの報告に対しては、①人助け、お布施、写経でも何でも構わないから、ダンマに心を向けさせる前行(payoga)のパターンを沢山引き出しに入れておくこと、②仕事にあっては、単に気づいている心の状態を保ち、過去の記憶に基づいた思考によっていかなる判断もしないこと、③自分を「外からの悪影響で潰されうる若木であって、柵が必要」と捉え、外部からのAkusalaの侵入に対しては「見ざる聞かざる言わざる」とadhiṭṭhānaしてパッと払いのけることが重要だとアドバイスされました。特に③を徹底的に実践すれば、家に帰ってきて瞑想を行うときに、心の状態はかなり良いはずと強調されました。

その他、食事と生活を変える上で参考になりうる医食同源の先生のご紹介、Cankama中に「気づきを失った」と気づいたときに何が起きているのかの解説(puñña、pāramīによってcaṅkamaを忘れた記憶が蘇り、Pakati-upanissayapaccayo、或いはĀrammaṇa-upanissayapaccayoによってjavanaでdhammacchandaが生起)、いわゆる西洋哲学の自由意志についての考察(蓄積されたkilesa、puñña、pāramī、過去の記憶、苦楽に基づく反応パターン、習慣、adhiṭṭhānaによるmanasikāraの舵取り等の影響を受けており、いわゆる完全な自由意志はない)がなされました。普段学んでいるdhammaをいかに当てはめていくか参考になりました。

 

参学者S