6/3ウポサタ傳修会&第51回原始仏教トーク「仏陀荘厳」

● 修行者のためのアビダンマ講座#227 二十四縁起中伝第29回

今回は中央区日本橋公会堂2Fで、アビダンマ講座、原始仏教トーク、ヴェーサーカ祭、Q&Aが開催されました。
傳修院で瞑想、法話、質疑を聞くと不思議と元気が出てくるので毎週がんばって出席しています。

最近段々楽しくなってきたアビダンマ講座は、先週までで二十四縁起の前半が終了し、いよいよ後半にはいりました。今日は13番目の縁起であるKammapaccayo(業縁)について学びました。

Kammmapaccayoには、いわゆるkammma(業) → vipāka(異熟)の縁起と、Cetanāの性質のひとつである「同時に生起するNāmarūpa(名色)をまとめ牽引する」縁起のふたつがあるとのお話でした。

二十四縁起の講義では、とにかく暗記することが求められています。
最初はなかなかスタンザが覚えられませんでしたが、コツをつかんでからは、どんどん暗記できるようになり、なかなか爽快です。以前に学んだアビダンマの内容もフル動員し、より深くダンマを学べている気がしています。

参学者 K

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● 原始仏教トーク 第51回「佛陀荘厳」

今月の原始仏教トークは、「仏陀荘厳」についてでした。

まず、お釈迦様のご入滅後、在家信者の方々が、礼拝の対象として、どのように自分の心の拠り所を作ってきたかという歴史についてお話がありました。
初期の頃は、仏舎利/ストゥーパ(仏塔)信仰、仏足信仰、菩提樹信仰など、「偉大なお釈迦様のお姿は直接描かない」様式での信仰・礼拝が一般的であったとのことで興味深かったです。

そのような中、ギリシアのアレクサンドロ三世王の東方への侵攻が始まると、ガンダーラ地方やマトゥラー地方を中心として彫刻文化が広まり、やがて仏像が広く製作されるようになって、ストゥーパ(仏塔)の代わりに、仏像を自宅にお祀りし礼拝するスタイルが、徐々に確立されていったとのことでした。

仏像を中心としたシュライン荘厳の習慣は、北インドから中国、チベット、そして日本へと伝わり、その過程において、厳格かつ、洗練された荘厳の様式が確立され、様式美が生み出されていったとのことでした。反面、南インド~セイロンには厳格な荘厳様式はあまり拡がらず、現代でも見られるような、よく言えば自由、批判的に言えば本尊軽視の風潮が生まれたのかもしれない、とのお話しでした。

そして、仏滅後2600年も経ってしまい、過去の様々な信仰の心の拠り所としての対象物が、形骸化してしまっている現在、我々は、どのようにお釈迦様への礼拝の想いを確立していけるのか?

ポイントは、以下の3点だったように感じました。

① ご本尊(=ブッダニミッタ)は、自分にとって「ただ一つのみ」にする。

② そのご本尊(=ブッダニミッタ)で、まず自分の心の内陣にシュラインを建立する。そして次に、その内的シュラインと相似になるような清浄な外的なシュラインを、自宅に建立する。

③ 日々、内的、外的の2つのシュラインにご供物を奉納し続け、洗練された荘厳方法で、浄化し続け、三宝との一体感を高め、自分のsaddhā、菩提心を最高度に高めていく。

①については、「ご本尊が定まっていない人は、saddhāも定まらない」という言葉が印象的でした。
確かに、せっかく自分の心に生まれた菩提心のパワーを分散させないためにも、「仏像なら何でも良い。荘厳様式も何でも良い。」という適当であいまいな態度は、戦略的ではないと感じました。

また、禅師が、ご本尊として、なぜ、このブッダニミッタをご選択されたのかという理由のお話がありました。

「無駄な装飾がなく、瞑想、随念が深まった時に心に現れるウッガハニミッタに極めて近いので、スムースに随念・瞑想に入ることができ、修行が進んでも、一生にわたり、さらに輪廻を越えて自分のニミッタとして確立できる」「仏像としては最も古いガンダーラ様式で作られた仏頭である」「禅師の経験上、これ以上、瞑想、随念に適したニミッタはない」「禅師を含め、過去世においてお釈迦さまと直接会った経験のある比丘達は異口同音に、このブッダニミッタのお顔は、実際のお釈迦様の醸し出す雰囲気に極めて近い、という印象を持っている」ことなどがあり、自らの全てを放棄して、仏法僧へ礼拝する為のシンボル、サイン、トリガーとして、非常に有用なものであるとご説明がありました。

②については、まず、自分の心の内陣にて、「アーナンダ長老が、毎日、お釈迦様、お釈迦様のダンマ、そして修行完成された先達の方々へ感じていた三宝への熱い想い」を想像し、「お釈迦様と24時間常に一緒に生活し、修行する気持ち」をブッダニミッタによって確立し、内的シュラインを建立する重要性が説かれていたように思います。
内的シュラインが存在した上で、はじめて、その熱い想いを的確に反映した外的シュラインが建立できるのだと思います。

③については、心の内的シュラインのご本尊へのご供物は、日々の自分の修行から生まれる五根であり、それらをご奉納し続けて行くとのことでした。
また、その心の内的シュラインの清浄性と呼応するような形で、外的な自宅のシュラインも如法に、そして、洗練された方法によってご供物によるご奉納を継続し、その具体的かつ実現可能な手法として、「打敷(うちしき)」「五具足(ごぐそく)」「三具足(みつぐそく)」などの荘厳方法を教えていただきました。

外的なシュラインを清浄に保つ最低限のこととして、毎日、シュラインの前で、「三礼拝」「三帰依」「五戒」「仏随念」「法随念」「僧随念」を、心を込めてお唱えすることが伝えられました。

また、傳修院として、「ご本尊(=ブッダニミッタ)」「 打敷 」については、参学者に、禅師のご祈願の後に、如法なシュラインを自宅で建立できるように、ご提供いただける予定との嬉しいお知らせもありました。

今回の原始仏教トークは、一点の迷いも無い、仏法僧の三宝への絶対的な帰依の気持ちを、「ご本尊(=ブッダニミッタ)」「内的シュライン」「外的シュライン」の3つのリンケージを通して、どのように自分の心に日々強固に確立し、saddhāや菩提心を最高度に高めていけるのかについての具体的な方法についてのご説明であったと思います。

いつも禅師に教えていただいていることですが、熱いsaddhāや菩提心がなければ、いくら難しいアビダンマを勉強しても、アナパナ瞑想を実践しても、修行は一歩も進まない。

自分にとっては、その教えを再確認できたご法話でした。

● ヴェーサカ祭法要

その後、「ヴェーサカ祭」が開催されました。

禅師によってヴェーサカ祭開催の法要がなされた後、参加者一同によって、仏随念が唱え続けられる中、一人一人、お釈迦様への感謝の想いを胸に、ご奉納していきました。

全員のご奉納が終わるまで、かなり長い時間になりましたが、その間、仏随念を唱え続けるというのは、他のすべてを忘れて、仏随念だけに没頭できる時間であり、とても厳粛なものでした。

● Q&A

この日、最後のパートはQAのセッションでした。

「腰痛への対処法」「どこまでがKammaによるvipākaといえるのか?」「自分に直接関係ない他人のkamma-vipākaに関して何か意見しても良いのか?」「お寺のご本尊の前で、自分の内なるブッダニミッタを礼拝するのは問題にならないのか?(お寺のご本尊が気分を損ねるなど)」「自分の思考で心をコントロールできるのか?」などに対してのご回答がありました。

自分にとっては、最後の質問に対するご回答が興味深かったです。

心路過程に表出する表面的な3つのmanasikāraの他に、心の深い部分(āsava、puñña、pāramīなど)にもmanasikāraが存在し、それらが心の舵取りをしているので、manasikāraをコントロールしない限り、心はコントロールできない。
それらが二十四縁起では、ārammaṇādhipati-paccayo, ārammaṇūpanissaya-paccayo, pakatūpanissaya-paccayo などと呼ばれているもので、無始無終の心の連続体の傾向性を決定付けている。

では、自分のmanasikāraをコントロールできるものは何なのか?
それは、思考ではなく、adhiṭṭhānaの力であり、強固なmanasikāraの心の傾向性の舵取りをコントロールするには、āsevana-paccayoの力を利用した力強いadhiṭṭhānaを長期に渡り続けるという地道な誓願力に頼るしかない。
そのadhiṭṭhānaはāsavaよりも深く浸透し、積み重ねが強固な基盤を確立し、やがて、manasikāraをコントロールし、āsavaを根絶することが出来る。
pāramī カードは、地道で力強いadhiṭṭhānaを長期に続ける強力なツールなので、有効活用して欲しいとのお話でした。

今回の原始仏教トークの「仏陀荘厳」にも、まだまだ自分のsaddhāや菩提心を育てる大きな可能性があったように、adhiṭṭhānaや誓願力もまだ全然有効活用出来ておらず、何か自分の仏道修行を一歩前に進める大きな鍵が隠されている気がしたので、自分なりにもう一度、現状を再検討してみたいと思いました。

参学者L