第21回水曜瞑想会

なぜか出がけに色々と用事が入り(Akusala Vipākaなのでしょうか・・)、いつもながらに結局ギリギリにオフィスを出て、20時直前に傅修院に駆け込みました。

瞑想会の前半、20時から30分の瞑想を禅師と共に。今回は、これまでより落ち着いて瞑想に専注できました。途中の電車の中で、瞑想に向けて意識的に心を整えていたのが、有効だったようです。

その後、禅師より1時間弱の法話と質疑応答です。
本日も、修行法、その中でも前行全般に関わるお話です。これまで数回にわたり前行のハウについてのお話をして頂きましたが、本日は、それら前行全体の重要性の再度の強調、そして前行とは瞑想実施直前のタクティクスに留まる話ではなく、広く日常での生活のあり方に関係するものである、という内容です。
禅師は、かつて交流のあった世界トップレベルのアスリートの実話を挙げられました。彼の試合本番前のトレーニングが、個別動作の単調な繰り返し確認のみという愚直なものであったこと、しかしそれが、短い本番の試合に向けた長い準備期間中に極めて真剣に行われていたことに、大変驚かれたそうです。
我々のアーナパーナサティの修行になぞらえれば、日中の短時間の瞑想や日常の呼吸の意識、随念などが個別パーツの準備的トレーニングになります。これらを、例えば夜のメインシッティングに向けて、意識的に反復していき、そうしてメインの20分なりの瞑想において、それまでの一日を通じたパーツレベルの努力を集約・集結させる、というイメージになります。ここで、日中のパーツレベルのトレーニング全体が前行であり、瞑想直前の準備動作のみを前行と考えてはならない、そうした狭義の前行のみで良い瞑想が出来ると考えてはならない、ということです。
また、そもそも「瞑想によって心を静める」という捉え方も、真摯な修行者の態度として適切ではなく、日中を通じた本来の前行によって、主たる瞑想修行の実行までに既に心は静まっており、その状態で瞑想を実行することで高いレベルの精神状態を得、そしていずれは禅定に至る、と考えるべきであるとのお話もありました。瞑想を「心を静める手段」とステレオタイプに考えていた自身の見解を、改めることとなりました。

最後に質疑応答の時間も設けて頂き、在家修行者の我々にとっての共通課題である、日中の仕事との付き合い方等について、具体的な幾つかのアドバイスも頂きました。

今週末は、通常のウポーサタ傅修会・托鉢会に加えて、リトリートや灌仏会など盛りだくさんですが、粛々と修行生活を継続していきたいと思います。

参学者TA