第9回水曜瞑想会

1月10日、仕事を切り上げ、水曜瞑想会に参加するため会社を後にしました。職場から傳修院まで約1時間。心は仕事のあれこれや煩瑣な職場の人間関係などでざわざわしています。少しでも静寂な状態に切り替えねばなりませんが、「今回の報告を役員にどう説明しよう?」「あの部署とは仕事がやりにくいな。今日だって…」となかなか心は静まりません。傳修院の瞑想室に坐り、お釈迦様に三礼して、ようやく心が凪いできます。


そして、禅師と共に30分坐ります。呼吸の感覚を切れ目なく感じながら息を観察し続けること、そしてすべてを手放してただ坐ること、私にとってその難しさは相変わらずですが、それでも瞑想が終わる頃には心は安らかで平静でありながら、なにか焦点が合ったような集中した状態になりました。

その後の本日の法話は、強く安定したアスピレーション・菩提心を継続させるために必要なものについてのお話でした。
仏法僧への信、六随念など、これまで信(saddha)の対象について注意を払うことが多かったのですが、それだけでなく、信の土壌となる信根(saddhindriya)が重要であること。信根を確固としたものにするために必要なもの、それは修行者としての自分自身への信、自分自身への絶対的な確信(!)である、ということ。つまり、仏法僧への信と共に、自分は決して揺らぐことのないお釈迦様の弟子なのだ、という自分自身への絶対的な信が必要であって、その二つは車の両輪のようなものである、ということです。

いつもは冷静で流麗であることの多い禅師の語り口ですが、今日はまさに情熱がほとばしるような法話で、獅子吼とはこのことかと感じました。


その一方で私は、修行はもとより日常生活での自分自身の不甲斐なさにも思いをはせていました。何を見聞きしても過去の自分の言動に駄目出しをする自分。現在の自分自身への信など微塵もない自分。禅師の熱い言葉は剣となって私の弱い心を打抜いたように感じました。参禅中に警策で弱い性根をしたたかに打たれたかのようです。
後日、本日の法話が傳修院TV等にアップされましたら、ぜひご覧になってください。

参学者SA