第8回托鉢会&開山後初!原始仏教トーク

第8回托鉢会

今日初めて、念願の托鉢会に参加することが出来ました。
道場に到着すると、今日は午後から近くのホールで原始仏教トークがあるということで(久しぶりの再開です!)皆さんその準備に追われていました。
その手を一旦休めて、11時から托鉢会です。
様々な趣向を凝らした手作りの料理やお店で買ったお惣菜などが、テーブルに所狭しと並べられます。


以前伊豆の合宿に参加した時にも、この形式の食事を頂いたことがありましたが、新しい道場でのそれはまた、一味違った和やかな雰囲気がありました。

まず初めに、禅師がテーブルの端に手を添えられ、パーリ語で廻向を唱えられました。
後である参学者の方に聞いてみたところ、これは特に亡くなった自分の身内への功徳になるそうです。
次回からは、それをもっと意識してみようと思いました。
こういう一つ一つの行為や気持ちが、長年続けることできっと将来の大きな波羅蜜に繋がって行くのだなと感じました。
取り分られた料理はどれも美味しく、身体の元気と心の豊かさを両方もらえたような気がしました。


食事中のお話は、やっぱりメインは午後の原始仏教トークのあれこれについてです。
今日は久々に禅師からどんなお話が聞けるのか、皆今からわくわくしているのが感じられました。
私は、なかなか土曜日にお休みがとれないのですが、また次に参加出来る日が来るのを楽しみにしています。
禅師、参学者の皆さん、今日は素晴らしい時間をありがとうございました。

参学者Q

 

傳修院開山記念原始仏教トーク

本日、傳修院の開山以来、初めての原始仏教トークが開催されました!
以下、概要をご紹介いたします。お釈迦様の実践された仏教を学びたい方は是非ご覧下さい!

○「原始仏教を生きる」というタイトルには、「お釈迦様の教えを学び実践し、傳修院で修行者と共有して一緒に修行する」という決意を込めています。
○「原始仏教」は「テーラワーダ」とは異なります。「原始仏教」は、お釈迦様の入滅から100年後の第二結集(根本分裂)までの最も純粋な仏教であり、「テーラワーダ」は、お釈迦様の入滅から約1,000年後に確立した教えです(※1)。禅師は「原始仏教」の比丘であって、「テーラワーダ」の比丘ではありません(※2)。
○禅師は、パオ・セヤドーからkammaṭṭhāna(業処)の法脈を受け継ぎ、日本にダンマを伝えるよう求められました。傳修院でもパオ・セヤドーのダンマを伝えています。パオの名前は使っていませんが、パオ・セヤドーは”Name is not important. Dhamma is important”と仰っており、大事なのは名前ではなくダンマです。
○テーラワーダのマインドフルネスは、いわば「認識の言語化」であり、vitakka(尋)を助長してしまいます。また、「涅槃に至るのに禅定は要らない」という指導者もいますが、お釈迦様は「仏教の衰退はサマーディの軽視から始まる」と仰っています。
○原始仏教を学ぶ上で、傳修院以上の道場はありません。傳修院で学べる波羅蜜を活かし、涅槃証悟を目指して一緒に本気で修行し、原始仏教を生きましょう。

※1 根本分裂によって、仏教は①大衆部系、②上座部系、③分別説部の3つに別れました。スリランカの分別説部(大寺派)は、ブッダゴーサ長老が三蔵の注釈書と清浄道論を記したことで勢力を増し(5〜6世紀)、スリランカで唯一の派閥となって「テーラワーダ」を名乗り(12世紀)、現代東南アジアに広まりました。
※2 比丘戒を授かるときは、原始仏教を探求する比丘から「テーラワーダには属さず、原始仏教を探求する」許可とともに比丘戒を受けられました。また、アーナパーナサティを指導するときは、「テーラワーダ」のテキストである清浄道論ではなく、サーリプッタ長老の無碍解道論を用いられます。

質疑応答では、①マインドフルネスはsati(念)の訳であり、対象から外れずにとどまることであって、様々な対象を次々にラベリングするならばsatiは生じないこと、②瞑想の対象が何であれ、座る・立つ・歩く・横になるという4つの姿勢において続けて行うことが重要であること、③Macchariya(物惜しみ)はdosa(瞋)に属し、dosaは必ずlobha(貪)をベースにすること、④dosaはどんどん膨らみlobha以上に瞑想の障害になること、⑤清浄道論や解脱道論ではなく無碍解道論を用いる理由等が明かされました。

概要は以上です。私自身、禅師から原始仏教をご教示いただき、修行上の迷いがなくなりました。
原始仏教に興味を持たれた方は、是非、傳修院にご来山下さい。

次回の原始仏教トークは2月3日(土)です。ご参加をお待ちしております。

参学者 S